養老猛司氏がどこかで「人間、結局のところ y = f(x) の関数に過ぎない。つまり x を 入れれば f() という重み付け関数に従って y というアウトプットが出てくるから」と言ってますが、けだし名(迷)言だと思います。
まずは、フェアではありませんが文脈を度外視して揶揄気味に。
そりゃあまあそうだよね。うまいもの食べればうまいって言うし、食べたら排泄するし。痛ければ痛いって言うしね。受動と能動っていう切り口は変ではない。自然科学者らしい発想です。
INがあって作用があってOUTがある。原因があって(むにゃむにゃして)結果がある。あれ?でもこれってご自身が批判されていた「ああすればこうなる」の延長では?事象を解釈する人間的な尺度=ツールに過ぎないのであって、大上段から人間とは y = f(x) だと言うのってちょっとやりすぎじゃないですかね?
まあ、別に文脈全体には特に違和感はなかったので、重箱の隅をつつくのもこれくらいにしておきます。(養老猛司氏ですが、抽象的思考能力があり過ぎるのか、一見して分かりやすく抽象化されているようで実は難解な含蓄があったり、誤解を受けやすいような気がしますね。私も分かっててそこを突いてます。貶す意図はほとんどありません)
しかし、普通引っ掛かりますよね。x をインプットされたら y が出てくる。ホントか?実際、そういう前提で人間を扱う学問も実際にあります。実験心理学とか。しかし日常的に半自覚的に生きていると、反発して当たり前だと思います。
ガンの原因だって分からない。どうすれば好景気になるかも分からない。分かっちゃいるけどやめられない。見たくなくても見てしまう。見えているはずが見えてない。だったら人間がインプットとアウトプットで説明できるわけはない。
この f() に養老猛司氏の頭の良さと乱暴さが現われているように思います。何かを感覚して(むにゃむにゃして)何かを能動的に考えたり、行動したりする。この構造を y = f(x) と解釈するのはまあ面白い。しかし、突き詰めて考えると疑問がいっぱい出てきます。
x がインプットだとすると、具体的には何でしょうか。いわゆる五感ですかね。アウトプットは?思考とか行動でしょうね。何かを見て聞いて考える。そして行動する。五感で入力して思考や行動という出力が生まれる。うん。きれいに y = f(x) が出来上がった。本当に?
まず見える/聞こえるなどの五感の受容性について考えてみましょう。分かりやすいように極論で行きます。江戸時代の人間を連れてきてパソコンを見せたら何をするでしょうか?江戸時代の人にパソコンがどう見えるかも分からない。光りがチカチカする箱ですかね?一方われわれにとってみればパソコンはパソコン(これも人によって違うでしょうけどね)。となると、江戸時代の人にとってのパソコンと、現代人にとってのパソコンは、同じインプット = xになるのでしょうか?そうはなりませんね。つまり、このケースでは、現代人では y = f(x) かもしれませんが、江戸時代の人にとってみれば y = f(x''') (xスリーダッシュ)くらいになってる。つまり、インプット自体が異なるわけです。単純に「f() が違う」とだけでは説明できない。
つまり同じものなんてのはない。だから安易に y = f(x) などと一般化できるものではありません。生の x としてパソコンが与えられたとして、そのパソコンは既にその人の持っている知識や歴史から解釈されてしまった上で与えられるのです。生の x そのものが与えられるわけではない。
じゃあ、こうしてみたらどうだろう。上記の解釈ってのを別の関数にするのです。すなわち y = f( g(x) ) 。この g(x) って何だ?カントに言わせれば「想像力」となります。昔の人はちゃんと考えたものです。感心しますね。つまり生(なま)の事象は想像力によってその歴史や知識を包含したものとして実体化される。そうして初めて意識に与えられることになります。
g()が意識に与えられる以前に作用する関数なので、f() ってのは意識に与えられてから作用する関数ということにしましょう。すなわち f() = 「意思とか意識的な解釈」になるかと思います。こうして初めて思考というアウトプットが出てきます。しかしこの意思とか意識ってのがまた厄介です。意識はINPUTから完全中立できるのか?ということですね。もう少し分かりやすく言いましょう。われわれは常に五感を通じて大量の情報を得ています。f() はそこから独立しているのでしょうか。同じ暑い夏でも、暑いのは不愉快だなあと思って考えることと、暑い夏は気持ちいいと思って考えることは違いますよね。ええと。この辺論理大丈夫かな。
長くなってきたので結論を急ぎます。仕事の片手間に文章書く(本職じゃないってことですよ。念のため)というのはある意味ウルトラマンが宇宙人と戦ってるようなもので長時間もたないのです。
たぶん y = f(x) なんてことはあり得なくて、人間のアウトプットなんてf''(f'(f(g''(g'(g(x))))) 位のわけのわからないほどの相互作用やら何やらを経て出てくるものだと思います。叩いたから痛いってわけでもない。誰にどういう状況で叩かれたかによって違ってきます。
だから何が言いたいかというと、人間ってのはいろいろ複雑な世界に生きているんだから、そんな簡単に生きられないんだよね、ってことですかね。
以上。
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