2009年6月3日水曜日

続「経済学哲学草稿」

★★★★☆☆:素直に読むと面白い

引き続き考えてみました。もはや書籍の内容とはほぼ関係がありません。

マルクスの主張にはかなり共感します。しかし行き着く先が止揚された共産主義というところは引っ掛かる。そこは短絡的な気がする。

実際、ソビエトや東欧が肥大した官僚主義と反自由主義のおかげで活力を失って行き、最終的には資本主義的を導入せざるを得なかった。その事実は強力です。

官僚主導の計画経済というのは面白い発想ではありますが、その計画も結局は官僚の欲望と政治に巻き込まれてしまい成功しなかった。官僚だって政治家だって不完全な人間だってことです。とすれば経済という巨大な欲望の絡む不可思議でカオティックな活動が上手く統制できるはずがない。

ま、そういう大局的な視点からだけではなく、個人的にも共産主義(私有財産の拒否とか計画経済とか、安直な意味での)はあまり楽しそうだとは思いません。

確かに金ばかりじゃない。でもさまざまな欲望入り乱れ競争があり、成功と失敗が繰り返される資本主義の方が楽しそうだと思う。欲望ってのはやはり人間の原動力であるわけで、その欲望が必ずしも醜い結果を生みだす訳ではない。

まず自分の才覚で最低限食って行けるだけの金を稼ぐこと。これはある意味真剣勝負のゲームなわけで、楽しいと言えなくはないんです。私にとっては。そして金を稼ぐ上で競争があって、その競争に勝つために効率的・戦略的に立ち回らなければならない。必死にならざるを得ない。これもまた面白い。

昔父が「お前公務員がいいぞ。公務員にでもなってくれれば安心するんだがな。安定してるし給料はいいし」と私に何度か言いましたが、全く興味がわきませんでした。せっかく仕事をするんだったら、もう少しスリルのある方がいい。どうせなら自分の力を試してみたい。若さゆえの無知と傲慢の感もありますが、基本的には今も変わっていません。マルクスちっくに言えば、それは自らを単なる労働力として、人間ではない単なるモノとして売り、生活費を稼ぐこと、すなわち望んで自らを疎外するという悲劇的な決意だったのかもしれません。しかし、やはり私にとってはそっちの方が面白そうだと思える。

私には欲望がある。そしてそれは私の人生を動かす巨大な原動力の一つです。明らかに。つまり単なる労働力ではありますが、私自身の欲望を持ち、それを実現しようとする意思も持っている。ちっぽけな存在でちっぽけな意思で、影響力なんかないかもしれませんが、とにかくやりたいことをやって生きてみたいと思う。

その欲望は、たとえば面白い仕事をしたい、いいものを作りたい、お金を稼いで自分の気に入るもの買いたい、自分の家族を食わせて行きたいという方向に向かっている。決して無難で安定した生活ではない。ウェルカムストレス。そうなってくると共産主義的な理想郷は私にはそぐわないように思えます。

それから金について。人間は金の使い方をコントロールすることができるはずです。あるいはまったく金にならなくても、人々の役に立ちたい、そういう人だっている。そんな人たちに期待してもいい。

要するにですね、資本主義の仕組みってそれなりに上手くできてると思うんですね。資本主義社会で生きるってのはスリリングで楽しいことなんじゃないか、と。でも、資本主義社会は巨大な金=欲望に左右される非人間的な仕組みを増幅するようなところがあると思う。ぼーっとしていると身ぐるみはがされるようなところがある。だから、資本主義社会を標榜するのであれば、セイフティネットなどの弱者救済の仕組みはちゃんとしないといけないんじゃないかと思うわけです。それから(駆け足なのでロジック弱いですけど)極端な富の集中も明らかに良くないと思う。社員の首切った経営者が何億円の報酬をもらうってどうよ。そこに金の使い方をコントロールする余地はなかったのか?あるいは外部から何とかする方法はなかったのか。

資本主義の裏には歯止めのきかない欲望が後ろにうごめいている。だから資本主義って本来うしろめたいものだと思います。そのうしろめたさを忘れてはいけないんじゃないか。

そんなことを考えました。
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