写真とはすなわちPhotographであって、Photographとは、光(ギリシャ語)+図とのこと。すなわち光の図。
写真と書くと、真実を写す。そのように読み取れますが、もとはと言えば光の図。それがフォトグラフ。
まあ、ここまで「楽しい写真」の受け売りです。しかし写真=「真を写す」か。真って何?本質を写せる機械ってほとんどドラえもんの道具だね。
私はフォトと呼ぶことにします。少なくとも今、今日、このブログで。
しかしフォトってのは面白いです。まず現場の印象通りには仕上がらない。その場の空気って、フォトからは絶対に伝わらない。立体的な見晴らしや空気、匂い。フォトからは全て欠落している。フォトが吸収するのは光だけです。その場の一瞬の、N分の1秒の光。デジカメがそれを記録する。
これはセコイアの新芽。撮り方によって印象が大きく変わる。
土門拳「筑豊のこどもたち」。フォトのパワーを思い知らせてくれる本です。そこに写っているのはけなげで貧しく、愛しい子供たち。写真を見るだけで泣けそうになる。しかし、それが真実だったのか。
一瞬にして移り変わる光。太陽から8分以上かけて地球に到着する粒子あるいは波動。地球を照らし、その光が私たちの感覚器を刺激する。そして植物はそのエネルギーを不断に吸収している。確かに光は目の前にある。そのエネルギーはいのちを育てている。さて、真実はどこにあるのでしょうか。
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