2010年3月22日月曜日

とある田舎へ

妻の用事に付き合って、家族全員でかなりの山奥に一泊することになりました。

行ったのは妻が小学生時代に育った場所。滅茶苦茶不便なところではありませんが、相当田舎の方です。

こだまに乗って到着。バスに揺られること40分。

到着。上の写真は妻の育った家。もはや人は住んでおらず、荒れてしまっています。

ご覧の通りの山の中。

沢がきれいです。

ここからしばらく集落はなし。人が住んでいない区間に続いています。

不思議に落ち着く感じがしました。決して過疎化しているわけではありませんが、やはり人口密度は相当薄い。すぐそばにいくつもの山がどっしりと構えていて、谷間にはきれいな水が流れています。山遊びも川遊びもできる。登山の途中にバスで通り過ぎるような荒れた山林ではなく、人が住んでいる山という感じがします。ところどころ、現役で林業をしているスペースも見られる。平地ではありませんが、決して険しい土地ではありません。

妻は懐かしい懐かしいといってそこかしこを歩いていました。まさに「私の山、私の川」という感覚だそうです。「小学校に通うとき、宿題を忘れたことに気がついてここであわててやってたのよね」と妻が指差したのは大きな丸太。その丸太はここ数日のうちに切られたものでした。昔から林業が行われていたということでしょう。

この日、一家で私の義理の父が借りている家に泊まりました。トイレは工事現場に置いてあるタイプのもの。水道は山水。電気は通じていますがガスはカセットコンロです。テレビは映らない。風呂は焚き木+ドラム缶風呂。さすがに4人家族では入れないので、下の温泉で風呂は済ませています。

家は古い平屋。たまたま暖かい日で、冬眠していたらしいカメムシやらテントウムシが這い出して子供たちに踏みつけられていました。わざとではありませんけどね。子供たちは虫を見て大騒ぎ。

窓からは当たり前ですが山が見えました。普通に窓から山の見える生活。ああ。これはいいな。いいもんだな。と思いました。東京で妻が、窓に映る家の影に何とか山とか名前を付けて喜んでいる気持ちがよく分かりました。このあたりで育った彼女にとっては窓から山が見える生活がルーツなのです。

私はといえば、小さい頃にそれなりの田舎に居たことはありましたが、そこはあっという間に工業団地として整備されてしまいました。ということで、いわゆるド田舎で育った経験はありません。周りの田んぼは広かったけれど。そんな私ですが、山に囲まれた、虫の這い出る工事現場のトイレ付きの平屋で食事をしていると、なんだかとても自然な落ち着いた気持ちになりました。理屈を越えた落ち着きです。なんだか田舎暮らしに惹かれる人が多いのも分かるような気がしました。

夜はとにかく暗くて静か。懐中電灯を持って子供と夜の散歩に行きましたが、早々に子供は怖がってしまい、すぐに家に戻るハメに。近所に熊だのいのししだのが出るそうです。狸くらいには会えるかと思ったのですが。

家に戻って歯を磨いて布団へ。疲れていた私はすぐに眠り込みました。

夜中のこと。ふと目が覚めました。激しい雨が屋根を叩き、風が吹き荒れる音。雷も聞こえます。枕もとのiPodをみると午前3時ちょうど。

明らかに都会とは異なる世界にいる、という気持ちがしました。慣れの問題でしょう。落ち着かない悪夢とイメージとともにウトウトしつつ、ドビュッシーを聴きながら、半分目覚め、半分眠りながら朝を迎えました。朝は晴れ。

不思議と楽しい一泊旅行でした。これといったイベントがなかったにも関わらず、子供たちも大満足。これはもう一度行かねばなるまい。まだ何か大事なことを見逃している。理解していないものが、まだある。何となくそんな気がしています。

追記: 考えてみれば毎日がキャンプ。毎日が山遊び、川遊びです。これは楽しい。DNAレベルで私の心に響いたのも分かります。

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