残念な本でした。努力と意図は分かりましたが、全くピンと来なかった。だから何だ?って感じ。現代的意義も伝わらず。
自と他がどうしたこうした弁証法だ絶対精神だといわれても、こっちはもうそんなもの空(くう)だと思ってるから、ウソだよ、としか思えない。カントはギリギリの線で踏みとどまってるけど、ヘーゲルは仏教的にはもうダメだと思う。「仏教的に」断罪するのもどうかと思うけど。
キリスト教を背景とした主観客観スキーム、理性観、歴史観を踏まえて始めてヘーゲルがわかるんじゃないかなと愚考するわけですが、それほどの手間を掛けて理解する価値があるかも疑問。
0 件のコメント:
コメントを投稿