2010年8月2日月曜日

町田宗鳳・上田紀行「「生きる力」としての仏教」PHP新書

★★★★☆☆:まあまあかな

最初、お?!これはイケてるか?なかなか力のある現代的な仏教書になりえてるか?と思ったのですが、中盤以降で少々白けました。言葉というか議論の流れが身内ウケっぽいというか。それから、既存の寺もボランティアかなんかで外に向かったらいい、という提言には浅薄なものを感じた。

「今生に、いかにいとをし、不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏まうすのみぞ、すえとをりたる大慈悲心にてさふらふべき」

と嘆異抄にありますが、普通の人は大抵凡夫であって、電車で自由に席を譲ることすらままならないわけです。疲れていれば座りたい。家も遠い。やや忸怩たる思いでうつむきながら、電車で座り続ける。善人になれぬ矮小な己という自覚から始まる仏教もある。そんなミミズのような自分でも、ほんの少しの仏性がある。阿弥陀様が照らす光に預かっている。あるいは無位の真人がいる。そこに救いがある。あっけらかんと善をなすような前向きな仏教からは私はケツをまくって逃げさせて頂きたい。

記憶はさだかではありませんが、道端で人助けをした弟子を破門した禅僧の話を聞いたことがある気がする。

私は善をなそうにもくだらないことで引っかかり、こだわり、悩んでしまい、速やかに善が行えない凡夫なもので、ボランティアしたらええ、などという話には到底乗れませんですわ。はい。

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