2011年3月29日火曜日

絶望する必要はないかもしれないけれど。私の覚悟。

以下、閲覧注意かもしれません。

私の、覚悟です。あるいは、酔っ払いの戯れ言。

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人は言います。「絶望する必要はない。希望を持とう!」

そうかもしれません。

でも、絶望を突き詰めると救いが見えてくる。

それは、今までのわたしの生ぬるい人生で分かった、貴重な真理です。

私の絶望。

それは、

子供の死を看取ること。いや、看取ることすらできないかもしれない。子供に、先立たれること。

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親としては、絶対に避けたい、絶望的事態。

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でも、子供にとっては、仕方のないことかもしれませんよね。逆に親より先に死ぬ方が楽かも。

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では、自分が、子供より先に死ぬとしたら。

それはとにもかくにも「最悪の事態」よりマシだよな、という覚悟が、自ずから生じてくるワケで。父母が子供に先立つ。

ある意味、正しい順番なワケです。

とすれば・・・

上手くすればあと40年、生きられる。

ちょっとマズいと、あと20年でアウトだろう。

もちろん、明日、落雷や交通事故、心臓発作で死ぬ可能性はある。しかし、その可能性は比較的少ないんじゃないか。

ということは、もうしばらくは生きていられるだろう。

そう。「もうしばらくは、生きていられるだろう」。

そう確信できるだけで、ありがたい。

そこに希望がある。絶望を突き詰めたら、希望が少し見えてくる。

じゃ、その残された期間を、どう生きるか。

今、大事だと思う事に、集中すればいいと思います。

とにかく、まだ生きている。

わたしは、自分が誇れる日本を、子供に残したいと思います。

そのために、残りの人生を過ごしたい。

日本を、欲にまみれたジジイどもの好き勝手に、させたくはない。そう、思います。

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