理系と文系の違いについて、わたしなりの定義。
ロジックと数字に対するリアリティの感じ方の度合い。
生活レベルを超えたロジックや数字に納得しないのが文系。
充分リアリティを感じて更に進むのが理系。(仮説>計測>検証>・・・)
明確な閾値などはございませんが。
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理系A「このデータによればこの仮説が実証されている可能性が極めて高く・・・」
文系「要するに、どういうことや」
理系A「・・・ええと。結論としては、これこれこういった前提で考える限り、成功の可能性は現段階で99.9%と考えられます」
文系「儲かるんか?」
理系B「50億の投資で収益は100億。その他経費は云々、内訳は・・・その前提は・・・」
文系「要するに、いくら儲かるんや」
理系B「・・・この前提で考えれば10億は儲かります」
文系「おっしゃ行け!反対するヤツは潰すか現金漬けや!5億までならばらまいてかまへんでー!取引先銀行の支店長呼んでこいや!」
理系A「(前提をちゃんと理解してるのかな・・・リスクだってデカイよ・・・ブツブツ)」
理系B「(いや机上の予測だから・・・上手く行かなくっても知らないよ・・・ブツブツ)」
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理系C「これが決算速報です」
文系「なになに?10億の赤字?こんなん出せるかいな。なんとかせえ」
理系C「しかし・・・なんとかしろと言われても・・・」
文系「要するに売上があればええんやろ?ちょっと営業部長と会話してこい!」
理系C「(・・・辞表書こうかな・・・)」
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理系「原子炉で測定された温度によると云々、周囲で観測された放射線量、放射性物質の種類によるとムニャムニャ」
文系「原子の炎は神の火じゃ。原発神社じゃほーいほい。原発供養に原発音頭。原発祭りで盛り上がれ。あーこりゃこりゃ」
(ありゃ内田樹センセイの投稿から原発神社の記載が消えたかな。さすがに)
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もちろん逆の場合もある。
理系D「えーと、このケースのデータがアレで、あのケースのデータはナニということで、費用対効果としては拮抗しておりまして・・・ブツブツ」
文系「うむ。それにあの事実があったから、その手法はダメやな。2、3ヵ月前に出したもう一つの案でやってみたらどや。それから、その前提はもう通用せんのちゃうか?それ抜きで一回計算してみてな」
理系D「・・・なるほど。(悔しいけど正論だな)」
細かい数字を見ないからこそ本質に切り込めることもあるワケ。
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うちの業界だとこうなる。
理系(SE)「PCならべてクラスタリング化か・・・障害発生率が低くても部品が多いから、ちゃんと冗長構成考えないとヤバいなあ。論理的な排他制御にも課題がありそうだし。ハードいくら冗長化しても、ロジックがアウトだと全部止まるぜ。結構厄介だなこりゃ。でもまあ技術的には面白いチャレンジだ。ブツブツ」
文系(営業)「今流行りのクラウド!コスト下がりまっせ!」
ってな感じで。
お互いのバランスが取れるといいんですけどね。
どっちかが暴走すると、トラブルが発生する。
(文系の暴走はハタ迷惑。理系の暴走は自滅方面)
原発事故はやはり文系思考の暴走だなあ、などとわたしは思ってます。
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