脱原発[デモ≒パレード≒集会]に参加するということは、群衆に埋没することではないんだなと。
そうではなくて、その場にいる一人一人(缶ビールを飲みながら気軽に歩く若いお父ちゃん、赤ちゃん連れの若いお母さん、元気なおばちゃんおっちゃん、若者たちetc)のリアリティやら背負っている何かを感じることだし、逆にそういった他の人々に、大なり小なり自分(そして家族)の存在を感じてもらうことなんだと。
「脱原発」というメッセージを通じて、自分のリアリティを感じ、確かめることができたなと。
すごく薄くて、広くて、強固で、不思議な関係の中に、自分が生きている。そんな気がしました。
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