■障害と不安
以前にも不安とプロジェクトの関係について述べましたことがありますが、今回は障害と不安との関係に焦点を当てて考えてみたいと思います。
障害は常に不安を煽るものです。なぜでしょうか。それは障害がわれわれを(未だ来ぬ)未来の可能性へと差し向けるからです。
普段われわれは特にその瞬間瞬間の可能性と直面することなく日常を過ごしています。先のことは全て予定表に入っている。つまり日常の時間にあるのは「未だ来ぬ」未来ではなく「将に来たるべき」将来です。これが普通日常に生きているわれわれの時間意識です。
具体的に言えば、例えば明日、いや次の瞬間にも大地震がおきてわれわれは死ぬかもしれない。あるいは車にぶつかって死ぬかもしれない。残念ながらそれは本当のことです。しかしそれを普段本気で考えている人はいません。健康な人であっても時折自分の死について考えることがあるかもしれません。しかし「次の瞬間死ぬかもしれない」と一瞬一瞬常に真剣に考えている人はほとんどノイローゼでしょう。
もう少し踏み込んで言えば、われわれは日常的な営みによって未来という巨大な不安を覆い隠しているのです。
そして障害は予期されない不愉快な事象として、われわれの不安を顕わにします。だからこそわれわれは障害を前もって、あらかじめ知りたいと思うのです。
しかし残念ながら障害の発生日は手帳には書いていません。予定通りに発生する障害というのはほとんど言葉の矛盾です。
ところが障害の原因が判明した事後からふり返ってみれば、その発生が必然であったことが分かる。
ここである種の人の中で時系列が逆転します。あのときこういう対応をしておけば障害は未然に防ぐことができた。なぜそれができなかったのか。
ある意味正しい反応です。好ましくない事象が発生したときにその原因を究明し次のアクションを取る。ヘビに噛まれて痛かったのならば次はヘビに噛まれないように用心する。しかし残念ながらシステム障害に対応するための方法論としてはいささか貧弱過ぎる。システムはあまりに複雑だし、人はあまりに不完全だからです。
障害に対応するためにはまずは人の不完全さを受け入れる必要があると私は思います。つまり事前に潰そうといたずらに体力をかけるのではなく(これは経済学の問題です)、事前に障害を出来るだけ出して直しておくこと。そして障害が発生したときの運用を確立しておくこと。それがもっとも効率的に障害に対処する方法だと私は思います。
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