基本的に私も若者の貧困は何とかしなければならないというスタンスでして、彼等とさほど思いは違わないはず。何でまたそんなネガティブな気持になったのか。その気持を整理するために書いたのが以下のエントリでした。
http://akagi-essay.blogspot.com/2009/03/blog-post_2420.html
2ちゃん系でも派遣村は叩かれていて、叩く側の言い分としては、んなことやる暇があったら働けとか、あるいは政治的に利用されてるだけじゃねえかとか、総じて胡散臭さを指摘するトーンに、ハードワーカーのルサンチマンや軽蔑が入り混じったものだったようです。
私はといえば、どうにもあの騒動が気持悪いというか、とにかく後味が悪い気がしてなりませんでした。
しかし、最近ちょっと考えが変わってきました。ひょっとして、私の感じた不快感の大部分は、派遣村それ自体ではなく、それを巡る周囲の状況にあったのではないか。そんな気がしたのです。遅ればせながら。
まず、冷静に派遣村について考えてみた。派遣村とは何だったのか。派遣社員の境遇に共感、同情した若造が集まって、日比谷公園で炊き出しイベントをぶち上げた。それだけの話だね。いいじゃないか。若さゆえにできるストレートなイベント。歳を取っちゃうと、余計な悪知恵がつくし気持も磨り減ってしまってなかなかそんな直截な行動はとれない。まことに結構。頑張れ若造。と、おやおや素直に褒められるじゃありませんか。確かに恥ずかしいというか勇み足というか照れくさいというか若さむき出しですが、若者ボランティアが集まって炊き出しするというのは悪くない。いいじゃん。
だとすると、何が私の気にさわったのか。結論からいうと、若造のイベントにただのりした大人とマスコミに不快感を感じたのですね。やたらと祭り上げたり、リーダーを英雄視したり。いや、派遣村なんぞ、民放の昼のニュースにチラッと載るくらいの話ですよ。元気な若者が青臭いイベントやってるだけ。それをさも大事件のように煽り立てる。そこに大人とマスコミの打算、偽善を感じた。それがどうやら強い不快感に結びついたらしい。だってさ、マスコミも派遣切りしてるわけっしょ。もう話にならないよね。どのツラ下げて派遣村報道だ、と。経営者も政治家もあんなイベント屁とも思わないはずだ。派遣村イベント程度で心が揺らぐほどナイーブだったら、政治や経営なんかやってられない。
それに派遣村はニュースの題材としてはとても扱いやすかったと思われます。政治色も思想のカラーも非常に薄いし、タイムリーだし、スポンサーへの攻撃色もない。いや、むしろスポンサーイコール若者の味方くらいのイメージも持たれそうだ。そんな背景が(まあ例によって下衆の勘繰りですが)うっすら感じられる。
まあ、とにかく、あの騒動にはぜんぜんいい印象がありません。何かイヤなもの見たな。その程度の印象ですが、でも、それは決してイベントそれ自体のせいではなかった、ということははっきりしておきたいと思います。
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