ひろさちやさんの著作を読んで気になったのが「努力をするな」「がんばるな」「ほどほどでいい」という言葉。
なぜか。「おれは努力をしたから成功した。だからお前も努力しろ」これはすなわち「お前が成功しないのは、お前が努力しなかったせいだ」。それは違うでしょう、と。
成功には様々な因縁がある。因があって縁がある。努力のみで成功するわけではない。努力を誇ってはならぬ。努力を押し付けてはならぬ。成功者よ、思いあがるな。失敗者よ。自己をおとしめるな。感謝の心を失うな。そして誇りを持て。
まあ、そうだよね。正しいよね。
しかし気になる。だからと言って努力を推奨しないわけにはいかないだろう。
私は努力するタイプである。子供にも努力を励行している。
私自身、無駄だと思っても努力する。外国人とビッグビジネスするチャンスはおそらくこの先一生ないだろう。でもiTunesからCNNニュースをダウンロードして聞いている。ドラッカーを原書で読む。実学ばかりではない。この年になっても、数学書や古文の復習をする。無駄だなあ、と思う。でも、なんとなく勉強を続ける。
そんなことをして年をとって、努力が無駄だということがしみじみ分かってきた。だって、実際役に立たないんだもの。
そんなことをして年をとって、努力すれば成功する、それは間違っている、としみじみ思うようになった。努力しても必ずしも成功しないのだ。控え目に言っても。
いや。はっきり言おう。努力したってまず成功しない。努力したって成功は手に入らない。だから、成功したくて努力するのはムダ。
努力してイチローになれるか?努力して金メダルが取れるか?努力してバッハ、モーツァルト、ピカソになれるか?
でも、努力は成功のために必要でしょう。天才とは99%の努力と1%のひらめきである。ああ、キレイ事だ。ウソッパチだ。大した努力をしなくても、縁があって成功する人がいる。とすれば、努力は必要条件ですらない。
努力を推奨するのは、他人の努力によって自らが潤う人間だ。すなわち政治家、官僚、経営者。
努力は成功を生まない。
じゃあ、成功する人しない人、何がそれを分けるか。それは因縁だ。頑張ったからどうなるというものではない。
じゃあ、なんで努力するか。努力したって成功しない。それは分かっている。でも、努力をすれば成長する。それも分かっている。
だから、自分を高めるために努力するのだ。
もし世間の尺度での成功を目標にするのなら、頑張ってもしょうがないよ。そんなことは本当に無駄で、空しいことだよ。
でも、自分の尺度で目標を定めるのなら、頑張るのは価値があるし、意味があることだよ。
そんな風に思う。
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