道元の「正法眼蔵」というのは非常に晦渋でなかなか歯が立たない本です。あまりに難しくて、単なるコケおどしじゃなかろうかなどと思ったりもするのですが、どうやらそうでもない。折に触れて読んでは、ああ。分からん。と歯がゆくなる本です。
これはその道元の解説本。
悪くはないと思います。しかし、やはりビンと来ない。「正法眼蔵」の難しさは言語の限界を超えた真理を語ろうとしているのが理由だ、と。それはそうかもしれませんが、でもそれって解説本の自己否定では?
頭では禅は分からんというのは完全に同意しますがね。
よくあるパターンですが、道元が神格化され過ぎているとまた理解が遠のく。「正法眼蔵」ってのは、禅の公案やお経をベースにした言葉遊びという側面もあるので、道元=屈折したインテリ(?)という切り口がないと、理解が難しいと思われるのは私だけだろうか。
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