2008年6月4日水曜日

10年続けてみる

今朝ふと吉本隆明が言った「何事も10年続けるとモノになる」という言葉を思い出しました。
どういう文脈だったかは思い出せません。

いろいろつらいことも気に入らないこともあるだろうけど、まあとにかく10年続けてれば何かしら光明が見えてくる。体がそう成ってくる、という風に私は理解しました。

何事も10年続ければモノになる。

ありふれた言葉の要ですが、なかなか含蓄があります。

 確かにある種の技量は幼いうちに素養を積んでおかないと、歳をとってからは厳しいと思います。
例えば楽器の演奏です。小さい頃に耳が出来ていないと、例えばバイオリンの学習は難しいでしょう。
しかし、上手く行かなくて難しくて大変だからこそ、10年続けることに意義があるのかもしれません。

すこし脱線しますが、「耳が出来る」ということを、私は養老猛司風に「脳に回路が出来る」と解釈しています。耳が出来るということは、脳に音階に対応した回路が出来る。耳からのインプットを受けて指が勝手に動くような仕組みが脳に出来て行く。そう考えるとなんだか楽しくなるので。

私の人生をふり返ってみても、とにかく頑張って仕事をしてきて、いろいろ外部の環境の変化もあったけれど、でも何とか仕事がモノになってきた。幸福か?人のことがうらやましくないか?という問いには簡単には答えられませんし、先の不安もないわけではありません。それにしてもまあこれまで何とかなったもんだな、という感慨があります。

楽器など趣味の世界でもそうですね。確かに小さい頃からみっちり練習してきたプロや音大/芸大出の方にはかなわない。でも趣味も10年続けていれば、それなりに自己満足できるところまでは行けると思います。

10年。長いようで短い期間です。30歳から本気で何かをやり始めたとして、50歳まで20年しかありません。しかし短い期間といえども続けるということはそんな簡単ではない。何かを続ける10年間は長くも短くもなるわけです。

そう考えると今の時間と、今10年後を見定めて何を始めるのか、という問いが非常に重いものであることが分かります。またその問いには自分を何かに投げかけるという生き方が示唆されている。ただ漫然と日々を過ごすのではなく未来へ向かって自分を投げ入れるという生き方です。そして10年という単位で人生を見たときに今の時間が非常に貴重であることに気がつかされます。

これからも大変なことはいろいろあるでしょうが、頑張って生きて行こうと思います。

(6/6追記)
asahi.comに『「ほぼ日刊」実はホントに日刊 「イトイ新聞」10周年』という記事が出ていて、以下の文章がありました。(リンクが許可制なのでリンクなしです)
糸井さんは「10年続けること」を目標にしてきた。文芸評論家の吉本隆明氏に「とにかく毎日、10年続けたらものになる。ぼくが保証する」と言われたからだ。

微妙にシンクロしてうれしいです。こういうことってたまにある。

0 件のコメント: