2009年10月10日土曜日

NetWalker触ってみた

ヤマダ電気の近くに寄ったのでNetWalkerを触ってみました。買ってません。まだ買いません。

わりと期待しつつワクワクしながら5分ほどいじってみた印象。うーん。微妙であります。やはりキーボードですね。大きさがなんというか中途半端。あのキーの大きさだと、私の手の大きさではほぼタッチタイプ不能。必然的に親指二本入力となるわけですが、そうなるとiPodフリック入力の方が速い。キーボードが嬉しくない。いっそフルサイズのがよかったのか。いやそれだと携帯不能だしな。いやいや、ポメラという成功(?)例もある。と思いは千々に乱れるばかり。

キーのクリック感は、悪いという前評判を聞いていたせいか、思ったよりいいという印象です。むしろ、親指二本入力前提で考えると、しっかりキーを押し込めよという明確なメッセージを感じることができて、単に安く仕上げたわけじゃないな、考えられてるな、と感じました。

さて。エディタを起動して試し打ち。うーむ。画面が小さくて起動がムズいな。エディタの起動時間はそこそこ。うん。日本語の入力方法が分からん。半角キーとかかなキー押しても変わらない。まあ時間の問題だろうから日本語はパス。とりあえず英字入力で試し打ち。うーむ。打ちづらい。慣れるとそこそこイケるだろうなという予感はありつつ、でもフリック入力のほうが速いなぁという想いが再びわいてくる。

画面の広さと、ファイラ、シェルには大変期待できるんですが、小さい画面にぎゅっと押し込まれた小さい感がオジサンには厳しい。もう少しフォントは大きくして欲しいな。まあこれもカスタマイズできるだろうから大きな問題ではなかろう。

OpenOfficeのSpreadsheetを起動。これも前評判通り重い感じ。重かったので納得、というよく分からない納得の仕方でした。

全般に今現在手放せないものとなりつつあるiPodを超えるものではないな、という印象でした。まあフェアじゃないんですけどね。iPodにはかなりの時間とそれなりの金をかけてますから。NetWalkerも時間をかければそれなりに育つに違いない。

しかし、先行者利益というか、私的にはiPodの牙城を崩すのはなかなか大変じゃなかろうか。そんな気がしました。

高給が欲しければリスクを取ればいい?

あるいは、給料が低いのはリスクのない仕事をしているからだ、という主張。

派遣社員や年収の低い正社員に対して上から目線で言われる言葉です。

大した仕事じゃないんだから、給料が安くて当然じゃないか。ついでに言えばあなたがそうなったのも自業自得だろ?自己責任さ。

一見正論ですが、この発想には想像力が欠けてます。自分の意志だけでは、未来は引き寄せられないから。それにそもそも選択肢が人によって限られているから。

極論ですが、例えばインドの乞食の家庭に生まれ、こっちの方が乞食としての稼ぎがいいからという理由だけで腕を切り落とされた子に、どんな自己責任があるでしょうか。どんなリスクが取れるでしょうか。バングラディシュで奴隷として売られるために産まれた子も同様です。

極論にすぎる。そうかもしれません。でも恐らくは人によって与えられるチャンスは違うし、取れるリスクも違ってくる。努力とも才能とも関係ないところで可能性はある程度決定されている。それは間違いないと思います。

だから、リスクを取らなかったから給料が安いとか、そんな下らない仕事をしているお前が悪いとかいうのは、あまりに傲慢な言い方だと思う。想像力が欠けていると思う。

もちろん、人によって才能も違います。私はプロ野球選手にはなれなかった。科学者にも、そしてSF作家にも。チャンスがあったとして、誰もがそれを生かせるはずはありません。だから、成功した人は、そのことを誇っていいと思います。限られたチャンスと自分の才覚を生かして成果を出したのですから。

でも個人の才覚が全てではない。色んな幸運や人脈、出資や協力に支えられて人の成功があると思う。だから成功者がリスクがどうとかいって安易に自らの傲慢さを正当化したり、うまくいってない人を見下したりするのは、その人の世界観の貧しさ、想像力の貧しさを示しているだけじゃないか。そんな気がします。

2009年10月9日金曜日

鷲田清一「待つということ」角川選書

★★★★☆☆:珍しい哲学者

久しぶりにいい本を読みました。

待つということ。ええと。ビジネスで言えば、待つ人=無能な人なんですよね。人事を尽くして天命を待つ、なんて状況はほとんどない。何かしらやることはある。ある案件で本当にやることがなくなったとしたら、別の案件で動けばいい。何もすることがなくなったら、英語の勉強をすればいい。とにかくただ待つということはあり得ない。それがビジネス。自己投資。なんと慌しいことよ。

しかし、ふとビジネスの外に出てみると、待つことの重さがあらわになります。子供が高熱を出して唸っている。病院に行って診断も受けた。クスリも貰った。後は子供の治る力を信じて待つほかはない。

あるいは母あるいは父が子を待つというシチュエーション。巣立って行った我が子の帰省を、待つともなしに待つ両親。

逆に子が母を待つということもあるでしょう。捨てられた子は、いつまで母を待ち続けるのでしょうか。

あるいは自らの病が癒えるのをただひたすら待つ、ということもあるかもしれない。

待つ他はない。そこにあるのは人の無力さです。なにも積極的な手を打てない。だから、待つしかない。本当に来るかどうかもわからない。いい知らせか悪い知らせなのか。それも実際に来てみるまでわからない。

そう考えると、待つという心の働きは、依然として人間のあり方に深く食い込むものであることに間違いない。人の力は限られているからです。

社会に出て仕事をする限り、待つという行為にはほとんど意味はありません。上司に「何でもいいから仕事しろ」と叱責されるだけです。

しかしながら人生の豊かさというのは、いかに待つか。何を待つか。待たされたとき、どういう態度を取るのか。そして何より自らの死をいかに待つのか。そこにかかっているような気がします。

この本自体は正直いってとりとめがないというかまとまりがないというか、どうみても体系的に書かれたようなものではありません。でもそれが欠陥になっていない。記述の対象が微妙にぶれながらも、核心を外堀から埋めるように、待つという心の機微が、深く分析されています。むしろ詩的な作品と理解したほうがいいかもしれましん。良書だと思います。

2009年10月8日木曜日

亀井さんの放言について

亀井さん関連ももう最後にしますが、彼の大企業が家族型経営を捨てたから世の中が荒んだ旨の発言について。

まあ例によってマスコミやらWebやらが叩いてるわけですけど、大企業の経営層が文句言うなら分かりますよ。でも普通のサラリーマンがケチつけることじゃないと思うんですよね。何故って亀井さんの発言ってのは、要するに従業員犠牲にしてまで利益出して、それでいいんか、大企業のお前ら。という大企業に対する人道的(浪花節的)な批判なわけで、一般庶民がこの発言に文句を言うのはどうも違和感があってしょうがない。

確かに企業は利益を出す必要がある。でも、きれいごとかも知れませんが、利益ってのは決して究極の目的なわけじゃなくて、社会に貢献した結果ついてくるものじゃなかろうか。だから従業員から搾取して利益を出したからといって、それは本当に価値のある利益なんだろうか。そんなことも考えてしまいます。

だからこのくらい言ったっていいじゃないか。浪花節が嫌いじゃない私なぞそう思いますけどね。少なくとも派遣社員を切りまくった経団連の御手洗よりよほど支持します。

しかし、亀井さんも外見で損してるんじゃないかな、と思いますね。同じことを小泉の進ちゃんが爽やかに言ってのけたら(絶対にあり得ないけど)大スターじゃないかしらん。亀井さんだとどう見てもドラクエの中ボスだもんな。

後はやはり墓穴を掘るのに熱心な人は大勢いるんじゃないか、と危惧してしまいますね。平社員や派遣社員が亀井発言を批判してどうするよ。そこまで経営者に媚びるか。小泉劇場で墓穴を掘った反省はどこへやら。見かけも、敵だ味方だというバイアスも、古い新しいという曖昧な評価もいったん置いて、虚心坦懐、政治家の言うことを是々非々で捉えてごらんなさい。そうしないとまた騙されてしまいますぜ。

2009年10月7日水曜日

ああ曾野綾子様

これで最後にしますけどね。例によって曾野綾子@産経新聞の記事。またスゴイのが載ってました。曰く、裁判官は素人より偉い、なんとなれば司法試験という難関を通っているし、一方素人は漫画しか読んでないような無知蒙昧な輩が多数であるから。やれやれ。

もう何もいいませんけどね。あ、一つだけ。以前二次方程式の解の公式が人生には不要だと断言したはずですが、司法試験の勉強は立派なわけね。その根拠って何?まあいいや。

私も別にいわゆる一般大衆を全面的に評価したり、無条件で賛美するわけではありませんよ。でも、少なくとも、教養のあるところを見せびらかしたり、俺は本をいっぱい読んでると威張ったり、エリート風をふかしたり、大衆の無能さをバカにする人間よりマシな人間は、その辺にいくらでもいると思うな。

しかし思うのはこういう保守的なおじさんおばさんの自信の強さはいったいどこから来るのだろう、という不思議。一つはあきらかに周りを見下していることからくるのでしょうけどね。私は正しいのである。そんな「正しい」私がこんなにまともなことばかり言ってるのに世の中おかしい。すなわち周りはバカばっかり。いやはや、すごいね。生きてて楽に違いない。だって自分に反対するのは劣った人間ばかりなのだから。敵はバカ。身方は話のわかる優秀な仲間。保守万歳。

いや、保守的な主張をバカにしてるわけではありませんよ。私は大雑把に言えば保守=現実路線と思ってます。まず保守的なスタンスのメリットデメリットを抑えるのは重要。私がバカにするのは保守思想で頭がガチガチになった滑稽なおじさんおばさんの自信満々な態度です。実におめでたい。

まあいいや。しかし、民主党も大変ですね。危ういったらありゃしない。マニフェストと現実路線とのバランスを取るのが難しいのはよく分かりますが、やはり重要なところに注力して欲しいですね。ちなみに故人献金は自民にとっても諸刃の剣でしょうな。スキャンダルに頼るな、と。お前らだって叩けば埃の出る身だろう、と。健全野党として政策面で成果をあげるべきであって、細かい献金問題で揚げ足取りをすべきでない、そこまで堕ちたか自民党、そう思う自民支持者も多いのでは?

例によってグデグデですがそれもまた産経新聞のせいなのです、と責任転嫁しておいて以上。

2009年10月6日火曜日

速読術とは

最近速読術ってあまり聞かないですね。そもそも本が読まれない時代になったからかな。

学生時代、友人が「俺は本を読むのが遅いから研究がはかどらないのだ」と、バイトで稼いだ大枚叩いて速読術講座を受けたものの、その講師にあえなく「学術書とか研究論文は速読には向きません」と言われてしまった、と話してました。むべなるかな、という気がします。

私も一応遅いながらも速読チックなことができるんですけど、速読で読める本っつーのは軽い本なんですね。もっとはっきりいうと、下らない浅はかな本。ページをめくるそばからあーはいはい、わかりましたよー。はーい、それではー、みたいな読み方ができる本。だから速読可能な本てのははっきりいってロクなもんじゃない。

速読の方法でまことしやかに言われるのが、一行一行読んで理解するのではなく、写真のようにページをありのままに写して把握するのである、というものがあります。そういう特殊能力が存在することは否定しませんが、おそらくはサヴァン症候群のような先天的なものであって、訓練で身につくとは思えません。

私の実践によれば、速読術なんてのは、ただの拾い読みです。キャプションっていうんですかね。小見出しと章の最後の結論を読むだけ。慣れて来ると途中の文字列をざっと流し読みしたり。数字が出てくるところはどうせ自身の主張を補強してるだけだから無視。そんな読み方ですよ。

まあ、好意的に言っても集中力を使って一気に斜め読みする程度のものです。だからまあとにかく読んだよ、と主張するには使えるけれど速読では身につかない。だから、速読なんてあまり価値がないんですよね、というのが今回の結論です。

遅ればせながらフリック入力は便利だ

iPodの日本語入力方法にフリック入力というのがありまして、これはどういうものかというと、テンキー方式のあかさたなという並びの文字をズラし押し、あるいは長押しすると、たとえばあ行ならあいうえお全ての文字が表示され、入力が可能となる、そんな機能なわけです。google参考リンク

慣れるとこの入力方式が速いとのことなので、ただいま練習中です。

しかし実際速いですわ。特に顕著なのは「おお」とか「ああ」とか「いう」とか同じ子音系でなりたつ単語の入力です。おお。通常の携帯方式だと10回以上タップしなければならないのが、フリック入力だと二こすりで入力できてしまいます。これは慣れるしか。

こういうのって地道に練習するしかしかないので、本の文章を写したり、テレビのアナウンスを打ち込んだり、とにかくいじるようにしてます。

この手のデバイスって、とにかく入力に慣れるが勝ちってところがありますね。パソコンだってそうだし。そういえば、昔父がFM TOWNSだったかな、富士通の国産パソコンと、これまた懐かしいオアシスっつう富士通のワープロソフト買ったとき、全然使いこなせなかったわけですけど、とにかくキーボードで文字が打ち込めることが楽しくて、やっぱり本を写したりしてましたね。親指シフトキーボードなんてのもあったなあ。独自規格の恐ろしさよ。

話があらぬ方向に脱線してしまいましたが要するにインプットデバイスに慣れるしかってのは大事であるなあ、という話でした。