2009年12月19日土曜日

小沢民主党のやろうとしていること

属国あるいは同盟国に対する覇権を握り、文化を輸出し、政治的経済的にもイニシアティブを持つ、というのがアメリカ帝国主義であって、日本はその中では軍事力の多くをアメリカに依存しているという意味ではアメリカの属国に近いというのが実際のところだと思います。腹は立つけれど、事実は事実。

というわけで、何かにつけてアメリカ陰謀論というものが出てきたりするのは、極端なものについては判断を差し控えたとしても、ある程度は本当なんじゃないかと思います。

実際、クレジットカードの使い方にポイントをつけて利用者を管理するとか阿呆な仕組みがアメリカから押し付けられた記憶があります。このようにあからさまな例だって事欠かないのだから、暗黙の圧力、内政干渉など日常茶飯時なのでしょう。

で、本題に入ると、民主党はそのアメリカに対してかなり先鋭的に反抗しようとしているわけですね。

思い起こせば小沢さんの日本に駐留するアメリカ軍は第何艦隊だけで十分だ(アメリカ兵数万人の失業を意味する)発言やら、それへの報復だか何だか西松献金疑惑やら。アメリカも小沢をかなり疎ましがっているのは間違いない。

日本の司法もかなり絶望的で、冤罪だろうが何だろうが平気のへいざ。検挙率が上がるかマスコミ受け与党受けするのなら何でもござれ。痴漢冤罪事件を見ていれば簡単に想像がつく。司法がアメリカの顔色を伺う官僚の顔色を伺うこともサラリーマンを10年やれば誰でも想像がつく。

というわけで小沢さんはアメリカを離れてアジア重視の外交を焦るわけですが、これが当然のごとく一般市民の理解を得られない。なぜかといって我々一般市民からすればアメリカの顔色を伺おうが中国の顔色を伺おうが対した違いはないから。アメリカに言われるがままに動いて甘い汁を吸うやつがいるのは確か。そして中国と組んで甘い汁を吸う奴が出てくるのもまた確か。すなわちアメリカより中国と付き合った方が得だよということを国民に示さない限り、小沢さんの動きは理解されないはず。だってどうせ庶民にゃ関係ない。とすれば、中国人がでかい顔するより、まだアメリカ人のほうがマシだ。偏見であることは確かですが、そう思う人は多いはず。

だからアメリカと強欲資本主義から離れた日本がどういうビジョンで中国、韓国と付き合うのか。それがどうして日本のためになるのかを国民に納得させないとダメでしょうな。確かにアメリカとの付き合いを縮小すればある種の既得権益層には大打撃のはずで、それはそれで痛快ではある。でも、それも別種の既得権益層を生み出すだけじゃないの?という疑念が消えない。

でも、少なくとも小泉竹中よりはマシだということは、私は確信してますけどね。彼は確かに何かを大きく変えようとしている。そして小泉竹中がもたらした変化以上に悪いものは考えにくい。はっきりいって。そして彼は、マスコミよりも日本の利益を考えていると私には思えます。チェィンジ。いっそ変えてしまえ。小泉竹中を応援して裏切られたと思った人は、小沢さんを支持する価値はあると思います。これ以上悪くはならないだろう。なるとすればそれはドン底のさらに下。それはそれで興味がある。

ダーティー・ハリー見た

カッコイイっす。クリント・イーストウッド若い。このシリーズはいくつか見ていることは確かなのですが、第一作目は初めて見ました。面白かった。

しかし、この時代は圧倒的な暴力が正義を実現するみたいなストーリーがありえたんですなあ。確か「うーんマンダム」(古い)のチャールズ・ブロンソンが出てるシリーズもそんな感じのストーリーだったと思うな。出来は当然ダーティー・ハリーの方が優れていたと思いますが。

しかし何となく暗くてカタルシスのない映画でありました。この手の映画、年取ってから見るのは辛いなあ。若い頃なら「シーッッット!ファァァック!」とか(心の中で)叫びながら楽しく見たかもしれませんけど。

副島隆彦・植草一秀「売国者たちの末路」祥伝社

★★★★★★:必読。国家というものの一面がよく分かる

いや、刺激的な本でしたね。なるほど。民主党が目指しているのはアメリカの軍事・経済・政治支配からの離脱であったか。それを焦ってやろうとしているのね。

副島さんというのはわりとあやしい系の人で、何かとアメリカ陰謀説を語っていて、時折は微苦笑を禁じ得ないのですが、植草さんはどう見ても真っ当な人ですね。こんな優秀な人が公務員の謀略にハメられて屈辱的な罪状を負わされるとは。日本の官僚も地に落ちたり。

今が旬の本です。十年生き残るとは思えない。でも、読むとしたら今です。世界観が変わります。

植草さんが一刻も早く政治・経済の表舞台に復帰することを祈ります。

2009年12月18日金曜日

カレー鍋

カレー鍋です。出汁から作ります。手羽元を10本位とニンジンとカレー粉小さじ一杯と塩大さじ一杯を投入して火にかけます。

タマネギをブレンダーで砕いて

鍋に投入。野菜ジュースも入りました。それからパック出汁のもと。魚粉とかしいたけの粉とか入ったやつです。和風カレーっぽい味になります。

あとはひたすら煮込むだけ。1時間以上。仕上げに市販のカレールーを2,3かけ投入します。って結局カレールーかよ。いや。子供が大きくなればカレー粉とスパイスで調味したいんですが・・・

野菜を大量に準備。

取り外し可能な卓上鍋に移してエビを投入。

野菜を入れて完成でございます。低カロリー。野菜たっぷり。美味かった。

2009年12月16日水曜日

ミヒャエル・エンデ「モモ」岩波書店読んだ

「はてしない物語」の余勢をかって「モモ」も読みました。いいですねえ。実に。感動しました。そればかりでなく自分の生き方について反省させられました。私にとって時間とは何だろう。私の時間泥棒はどこに潜んでいるのだろう。

時間泥棒=灰色の男たちは、言葉巧みにわれわれから時間を奪い取ります。時間を取られた人は、目先の欲望に駆り立てられ、本当に大事な充実した豊かな時間を失います。失われた時間とは世界に一つしかない美しい花なのです。われわれの心の奥に育まれる、一輪の花。それがわれわれ一人一人のかけがえのない時間です。灰色の男たちは、その花をこっそり奪い、乾燥させて葉巻を作り、それを吸うことで生きるのです。うーん。しびれる。なんという美しいイメージ。

時間泥棒とは他ならない、われわれ自身です。われわれは、同僚の、上司の、部下の、そして子供の時間を奪って生きているからです。

時間ほど貴重なリソースはない。ドラッカーも言いました。でも、この言葉はいつだって忘れられているように見えます。なぜか。それはわれわれが時間の大切さを本当には分かっていないからではないでしょうか。何だと。時間が大切なことくらい言われなくても十分わかっている。タイムイズマネーだ。そうでしょうか。あなたは仕事や金のために人と自分の時間を浪費していないと、断言できますか。厳しい非生産的な残業を強いる上司。ムダな仕事ばかりを思いつくマネージャー。あるいはいつまでも、誰よりも残業する上司。若い奴らはなっとらん。不甲斐ない。そんな上司に嫌々ながら、あるいは嬉嬉として従う部下。そんな立場になったことはありませんか。だとすればあなたもまた、時間泥棒であり、かつその被害者の一人なのです。

そして時間を奪われても平気で何も感じない人がいます。もはや時間を搾取されることに麻痺してしまったのでしょう。哀れな話です。

どうしてこのようなことになってしまったのか。

時間を切り売りするとは、みずからを切り売りすることに他なりません。そして、それが当たり前になっているのが今の時代です。時間は、われわれが考えるよりもずっと大事なものなのです。単に時間を削り売りするだけでは、確実にそれだけ自分が磨り減っていく。残念ながら比喩ではありません。恐らくは売春にも等しい行為なのです。

では、どうするのか。まさにそれがわれわれ一人一人に問われているのだと思います。

私の場合は、時間を切り売りするだけではなく、できるだけそこから何かを学ぼうとします。そして理不尽な時間泥棒からは一目散に逃げること。すきま時間を、しっかり利用すること。具体的には本は執務中も手放さず、空いた時間に読むようにしています。これが時間泥棒に対する私のささやかな抵抗です。他にも明らかな無駄な作業には反対すること。それから趣味でもなんでもいい、ゆったりと時間を使う方法を知っておくこと。

仕事に全時間を投入して後悔しない人もいるでしょう。家族に捧げる時間が一番大事だと思う人だっていると思います。そこは人それぞれ。どれが正しいとかは言えません。

機会があったら、自分には時間の貴重さが本当にわかっているのだろうか、分かっているとして、それに相応しいやり方で時間を過ごしているだろうかと一度考えてみてもよいかもしれません。

2009年12月15日火曜日

民主と外国人参政権

一言でいって不可解。国民が外国人参政権を認めたいから民主党を選んだとでも思っているのだろうか。単に票田として組み込もうとしている?それでは単純すぎるな。ひょっとして東南アジア共同体という思想を実現するためのツールとして、外国人参政権を使おうとしているのか。ああ。そうか。そういうことか。

誤解のないように申し上げておくと、私は、外国の方に参政権を渡すべきだ、という意見に理念では賛成します。少なくとも原則としては否定できないと思う。優秀な人材を引きつけるための参政権の交付ですから。でも、外国人への参政権の賦与が、短期的に効果を出すようなことはあり得ないんじゃないか。それに、外国人もいいけど、日本の優秀な若者の活躍する場を作る方が大事じゃないか。また、今の時代、投票権とか参政権って魅力ですかね。日本の投票率を見る限り、少なくとも日本の若者は投票権を有難がってないことは自明。そんな風にも思うわけで。つまり、なんでこんな時期に外国人への参政権の賦与を必死になって画策するのか。それが府に落ちない。他にやることがいくらでもあるでしょうが。

どうやら、朝鮮も中国も必ずしも外国人への参政権賦与には賛成していない模様。恐らくそれは、親日本派の国民を生み出すのを嫌っているのでしょう。一人一人が日本の国政に対して意見を表明するようなことになると、収集がつかないというか、少なくとも一枚板ではなくなるから。

東アジア共同体への布石としても、いまいち先走りすぎる気がします。外交の軸足をアメリカからアジアに移すことを急いでいるのか。いずれにせよ足が地についていないように見える。これもまた現実軽視の理念先行政策か。

民主党の足が地についていないのが、マスコミの発表する高支持率が原因だとしたらマスコミも罪だな、と思いますね。国民はもっと冷めた目で民主党をみてると思うな。

2009年12月14日月曜日

ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」岩波書店読んだ

最初に映画で見たんですよ。中学か高校の頃でしたが、悪くない映画だと思った記憶があります。ちゃんとしたファンタジー映画ってだけで、数はずいぶん限られてくるので、いささか甘めの評価にならざるを得ないにせよ。

まわりの評判はほとんどが「悪くはないけど原作の方が面白い」というもの。まあそうだろうな。なんたってミヒャエル・エンデだものな。原作の方が深いにちがいない。しかしながらやはり原作には食指が伸びませんでした。こういっちゃあなんだけど結局のところ児童文学だし。映画も見たし。もういいや。これで二十年近く過ごして来ました。

それを何でいまさら読んでみたか。ぶっちゃけブログ更新のネタですわ。はは。まあ、結果オーライ。巻を置く能わず。一気に読み通しました。かなりシビれました。最後も感動です。

原作を読んで初めて分かったこと。この本は、母を亡くしたバスチアンの、癒しと復活の物語だったんですね。何が大事かを理解して初めて、彼はファンタジーの世界から外に出ることができるわけです。

映画の方は恐らくは時間の関係で、最初の三分の一程度しかカバーしていおらず、しかもこれから、というところでぶった切ってハッピーエンドにねじ込んでいたわけで。まあ、それにしては、良心的に、誠実に作ってあることには間違いありませんがね。

しかしこの本に若い頃に出会った人は、ニートとか引きこもりにはなりにくいんじゃなかろうか。などと思ったりもししたが、きっと話はそんな簡単じゃないんだろうな。むむむ。

NHK出版「人類最大のタブー〜バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは」リー・M・シルヴァー著 楡井浩一訳

非常に刺激的な本でした。

私は遺伝子組み換え食品には感覚的な違和感を持っていて、なるべく忌避するという態度をとっています。まず感覚的にイヤだな、というのが先に来ます。人体には事実上害がないということも理解してます。懸念があるとすれば、遺伝子組み換え植物の過剰な繁栄による生態系の破壊。でも、どうやらそれも杞憂に過ぎない。

だとすれば、なぜ遺伝子組み換え植物を嫌うか。著者はそれをキリスト教的、ポスト・キリスト教的価値観*、倫理観に由来する妄想に過ぎないと断罪します。この人、どうやら筋金入りの無神論者。

*ガイア思想やら何やらの汎神論的な考えとか。スピリチュアル云々とか。

出たよ。キリスト教なんかしらんがな。まあ、そこは枝葉の話。私の宗教的スタンスは、やや仏教寄りの無神論者です。不可知論ですらありません。だから、少なくともキリスト教的価値観とは無縁だ。にもかかわらず、なぜ遺伝子組み換え植物を嫌うのか。経験的にも、そして科学的にも安全性はほぼ確実とわかっているのに。

つまり、著者の発想からすると、私はキリスト教的妄想ではないものの、また別の種類の妄想に囚われていることになる。やはり非合理な感覚でしかないじゃないか、と。分かった。じゃあ、私も明日から遺伝子組み換え食品を食べるか。いや、食べないと思うな。アナクロな発想かもしれない。でも、遺伝子組み換えとそうでないものを選べるとしたら、そうでない方を選ぶな。

何でかといえば、やはり人間のすることだから。信用できない。そこに尽きる気がします。キリスト教徒は、遺伝子組み換え操作を神に対する冒涜だとか、人間の越権だとか批判するらしいですが、当然私はそんなこと微塵も思わない。トウモロコシに害虫が食べたら死ぬ遺伝子を組み込みました。大丈夫。人間が食べてもお腹は痛くなりません。環境にも悪い影響はなさそうです。ってさあ。そりゃ引くよね。科学的データを信じるから食べるというのも、また別の宗教という気がしないでもない。

この人、人類が伝統的にやってきた遺伝子操作(交配とか)をいろいろ挙げて、最近のバイオテクノロジーはこれまで連綿と人間がやってきたことの延長にすぎないとか、いろいろ巧妙に論陣を張ってるんですが、やはり私にはどうもこの人も厄介な科学原理主義者にすぎないんじゃないか、という気がします。言ってることは分かるけど。そんなに力むなよ、と。

とまあ、悪口気味のことを書きましたが、この人の科学的態度によってわれわれの持つ認識や確信が、いかに根拠のないものかが顕わにされるところも確かにあって、そこは素直に受け入れたいところです。

でもこの人がこんなにアグレッシブにならざるをえないのは、実はアメリカでいまだに近世キリスト教国的価値観が幅を効かせているのも原因の一つのようです。とにかく刺激的な啓蒙書でした。

「ローマ人の物語」に関してつらつらと

とうとう全部読んでしまいました。いろいろと啓発された本でしたが、全般を通して一神教が有害だと断じているのが面白かったすね。実にもう無邪気というかイノセントに言い切ってる。

確かに塩野さんのローマ史を追って行くとそう見える。ローマ帝国の衰亡期に現れた現世批判の非寛容な一神教。それがキリスト教。

西洋の歴史家はどう書いているのだろう。どうも宗教的バイアスのない塩野さんの方が西洋の研究家よりも的を射ているんじゃないか。そんな予感が消えません。

現世の理不尽から目を背けられるのはいいけれど、その結果、より悲惨な現状が待っているとしたら、どうしようもない気がします。悪循環。

宗教は人間にとっては麻薬のようなものだ言ったのはマルクスだかフォイエルバッハだか。ニーチェがキリスト教批判にあれほどまでに体力をかけたのも、分かる気がしました。

現世の苦しみから目を背けさせるだけの宗教だとしたらしょうがないですよね。それはもはや逃避でしかない。もちろん、人間は現世の感覚的な快楽だけで幸せになれるわけではありませんし、そこに宗教が果たせる役割もあるとは思いますが、それにしてもローマ史を追う限り、キリスト教とは何なのだろう、という疑念は沸き起こります。

2009年12月13日日曜日

昼)インディアン・スパゲッティ、夜)豚ひれステーキ、焼きキャベツ、ほうれん草スープ

ドライカレーです。餃子のタネの残り物を使いました。わりと野菜たっぷり。

タマネギとニンジンのみじん切りを炒めて、

餃子のタネの残りを投入。

フレーク上のカレー粉とケチャップで濃い目に調味。完成。パスタにかけてインディアン・スパゲッティの完成。美味かったです。

今度は夕食。豚ひれが安かったのでステーキにすることに。タマネギスライスと調味料を投入してブレンダーでクラッシュ。

豚ひれ肉を漬け込みます。

別途スープを作ります。これもクックパッドから。生協のチキンスープの元を使用。

もう一品、キャベツ焼きです。後ろに見えるのはスープ用の卵。

こっちはスープ用のほうれん草。

スープ完成。

キャベツ焼き。

完成。

豚ひれステーキ。

完成。

かなり美味かったです。タマネギの香りが少し強かったけど、これはもう少し炒めれば改善するはず。定番レシピが増えそうです。