どちらかと言えば悪口。
GWで仕事を休んでのんびり出来るかと思ったら、いろんな雑音に触発されてかえってしょうもないことをいろいろ考えることになってしまいました。思うに人には一定の受容力ってのがあって、仕事に向かっていれば仕事に意識がとられて入ってこない情報が、仕事を休んでいるとその分余力が出て、アンテナが広がり、余分な情報を拾ってくる模様。やれやれ。こんなことなら手塚治虫のブッダでもまとめ買いして読みまくってればよかったかもな。
もう最後にしよう。うん。
民主党が議員の世襲禁止を公約に掲げているそうですね。(民主党の公式Webに行ってもソースは見つかりませんでしたが、まあガセではないでしょう。)
最初に「人をバカにするな」と思いましたね。
でも次の瞬間に「いや、本当にバカなのかも」とも思いました。
一般に二世ナントカは無難なことしか出来ないので有事には使えないってのが私の印象です。だから世襲禁止はやったらよろしいと思います。平時でも禁止していいんじゃないか。ダメかね。自民党内閣の顔ぶれ見ればもう「勘弁してよ」という感想が浮かぶだけです。そりゃ上手く行ってわりと皆がハッピーな時代ならいいですよ。でもこのヤバイ時代にあのメンツじゃねー。無難なことやりながら沈没するんだろうなーって予感。
まあいいや。
世襲を支持するのは誰かと考えたとき、私は「それは現状維持を望む人」だと思う。地盤と看板を引き継いで、ついでにこれまでの既得権益層も温存。そんなとっぴなことをするはずがない。周りの望みを聞いて、そこそこのことしかやらない/できない人。それが二代目。「このまま何も変えて欲しくない」人が二世を選ぶ。
ということは、イザという時、いやこのままだとまずい、と思う人が増えれば自然に二世は淘汰されてゆくはず。そんな希望を持っていたわけですよ。私は。でも、どうもWebやマスコミの様子を見ているとそうとも思えない。
皆さん二代目やら名家やらお金持ちが本当にお好きなんじゃないか。搾取されている側であっても、喜んでそんなオボッチャマを支持してるんじゃないか。そんな暗い印象がぬぐいきれませんので。
あー。暗い気持ちになってきた。ニーチェ読み返そうかな。奴隷根性のルサンチマンは今も健在であったか。
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モットーは「健全な精神は健全な胃腸に宿る」「生きてるあいだは上機嫌」
主張として「原発は営利企業に任せるべきでなく、もんじゅは絶対に廃炉!」「税金には気をつけろ!」
もう一つ、福島原発作業員の方々ならびに早野先生に国民栄誉賞を。
サブ・ブログという位置づけで、細々更新しています。
2009年5月8日金曜日
ギョウザ、あんこ、わらびもち+あんこ、大豆と昆布の甘煮、大豆とひじきの煮物
まずはギョウザ。dancyuを参考にして作りました。八丁味噌とか芝麻醤とか入る多少凝ったやつです。
ギョウザ。嫌いじゃないんですが、凄く好きなわけでもないというのが私の位置づけです。なぜギョウザを作ったか。それはdancyuで特集してたから。それだけ。
生肉手で捏ねたり、ギョウザ0から作るの初めてだったりで、写真を撮る余裕はなし。まあ美味かったですね。一人で48個ギョウザ包みました。子供が大きくなったら一緒に作ろうっと。
あとは餡を茹でてみました。緑茶に合うお茶請けを作ろうと思ったので。ナゾの写真はわらび餅です。餡をしいた上に乗せてみました。見てくれはともかく結構イケました。子供たちにも好評。
夕食。まずは昨晩からポットに熱湯で漬けておいた大豆を茹でます。思ったより時間かかりました。モノによって茹で時間が違いますね。それから、茹でた大豆を160グラムと300グラムに分割し、300グラムの方をひじきとニンジンと鶏ササミぶつ切りと油揚げと煮付け、160グラムの方を砂糖と昆布で甘く煮付けました。甘煮の方はもうお茶請けレベルの甘さで少し当惑しましたが、まあギリギリ「こういうのもあり」なレベル(これもcookpadトラップでしたよ。つくれぽ20件未満は信用しちゃいけないね)。ひじきと大豆の煮物は結構(゚д゚)ウマーでした。上の子がおかわりしたので独りよがりではない。まあこんなもんでしょうって感じでした。
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ギョウザ。嫌いじゃないんですが、凄く好きなわけでもないというのが私の位置づけです。なぜギョウザを作ったか。それはdancyuで特集してたから。それだけ。
生肉手で捏ねたり、ギョウザ0から作るの初めてだったりで、写真を撮る余裕はなし。まあ美味かったですね。一人で48個ギョウザ包みました。子供が大きくなったら一緒に作ろうっと。
あとは餡を茹でてみました。緑茶に合うお茶請けを作ろうと思ったので。ナゾの写真はわらび餅です。餡をしいた上に乗せてみました。見てくれはともかく結構イケました。子供たちにも好評。
夕食。まずは昨晩からポットに熱湯で漬けておいた大豆を茹でます。思ったより時間かかりました。モノによって茹で時間が違いますね。それから、茹でた大豆を160グラムと300グラムに分割し、300グラムの方をひじきとニンジンと鶏ササミぶつ切りと油揚げと煮付け、160グラムの方を砂糖と昆布で甘く煮付けました。甘煮の方はもうお茶請けレベルの甘さで少し当惑しましたが、まあギリギリ「こういうのもあり」なレベル(これもcookpadトラップでしたよ。つくれぽ20件未満は信用しちゃいけないね)。ひじきと大豆の煮物は結構(゚д゚)ウマーでした。上の子がおかわりしたので独りよがりではない。まあこんなもんでしょうって感じでした。
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食育という言葉について考えてみた
最近食育という言葉をよく聞きます。ふーん。食育ね。食生活って大事だからね。結構なことだよね。くらいに思っていたんですが、ふと違和感。あれ?食育って言葉なんかおかしくないか?
「食を育てる」?単語の組み立てとしてはそれに近いけれど言葉として変だな。「食べて育つ」?当たり前だし文脈的におかしい。「食で育てる」?言葉としてはマシだけどそれでは「食育」という単語にはならない。Webで正解を調べてみるとどうやら「(国民の)食を育てる」あたりが正解のようですね。ってもう少し調べてみるとWikipediaに歴史的な解説が。さすがWikipedia。マクロビオティックとも関係があるのかな。まあいずれにせよ国民が賜る方の言葉のようです。
「食育」にまつわる意味作用を乱暴にまとめると、国民の食に対する意識を高めることにより、食料自給率を高め、安全な食品を育て、みなで健康になろう、といったところでしょうか。
うーん。ダメじゃないかな。目的は結構。でも食に対する意識といってもいろいろだしなあ。食品の安全性と価格はトレードオフだし、個人の好み(重み付け)だし。
「好み」って言葉で一括りにするってのもなんだけど、1日2食を牛丼かコンビニメシ、たまに野菜ジュースでOKって人がいてもおかしくないし、大体サプリメントってどういう扱いなのよ。あれって人によっては有効だと思うな。サプリも健康志向の食育つーことでOK?かくいう私も亜鉛とか取りにくいミネラルは気分次第でサプリを食べてプラシーボ効果に浸っているので揶揄しているわけではない。
トランス脂肪酸を避けるかどうかもセンスの問題だし、近海産の魚を避けるかどうか(汚染の回避)も人によって判断が分かれるところでしょう。さらに細分化すればビーガンってどうよってところにも波及しそう。マクロビオティックも結構極端だしなあ。
要するに食についてはあまりにも価値観が多様なわけです。それを十把一絡げに「国民の食に対する意識を高める」か。センスない目標だよなー。官僚バッシングは間違ってると私は常々思ってるんですが、税金使ってこんなことやってんのか。公務員って。どうよ?上の決定には反対できんのか。あなた方の成果ってなんなのさ。あ、言い過ぎたゴメン。私もサラリーマンだから少しは分かるよ。「ムダなことを効率よく行うほどムダなことはない」。ドラッカーはうまいことをいう。
大体ターゲットが「国民」になってるのもおかしいと思うな。国民って誰だよ。官僚と大臣以外が国民か。当たってそうでイヤだな。まあいいや。子供か親か。独り身か。若い独身男が食べ物を気にするか?たまにほうれん草のおひたし食べればOKでしょ?野菜ジュース飲んでます。以上。健康に自信もあるしね。子供には難しすぎて分からないだろうしな。となると親だよな。親が子供に食べさせる食事。ターゲットはここしかないでしょうが。それをなぜ出せないか。なんで「国民」という抽象概念で逃げるか。
親が子供に食べさせる食事という図式が出るや否や「母」というキーワードが出るからだろうな。つまり「子供にちゃんとしたもの食べさせてるのか。お母さんたちよ」というメッセージがすぐに浮かんでくるわけで、そりゃあマスコミ野党入れ食いでしょうな。女性差別だとか家事に縛り付けるのかとか。ほんとどっちもどっちだな。父親が料理する家庭だってそこそこあるだろうに。母だろうが父だろうが祖父母だろうが関係ないのよ。ちゃんと子供にまっとうなものを食べさせてるのか。そこでしょうが。
自分の愛する家族に、国産の旬のものを、伝統的な調理方法で、おいしく料理して食べてもらう。自分の食事なんかどうでもいいんですよ。何が「国民の食に対する意識の向上」だよ。血みどろになって魚を捌いて、むせ返るような血の匂い嗅いで、後の掃除に苦労して、その様子を子供に見せたらいい(ベジタリアンじゃなければね)。食べるってのはキレイゴトじゃない。でも食材をおいしく調理して食べる先人の知恵ってのはすごい。命をもらって、昔の人の知恵にあやかって、おいしいものを食べられる。食べるってのはありがたいことなんだよ、とわけの分かってない子供に繰り返し食べさせて実感してもらうしかないんじゃないか。親が子供に、おいしく食べて欲しいと旬の食材を使った料理を食べさせる、その行為の重要性を訴えなければいかんのじゃないですかね。やれやれ。
もちろんたまにインスタントラーメンでもいいと思いますよ。ご飯作るのって大変だからね。手抜きも重要。子供もインスタント食品は喜ぶしね。あはは。そんなんでいいんじゃないかな。
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「食を育てる」?単語の組み立てとしてはそれに近いけれど言葉として変だな。「食べて育つ」?当たり前だし文脈的におかしい。「食で育てる」?言葉としてはマシだけどそれでは「食育」という単語にはならない。Webで正解を調べてみるとどうやら「(国民の)食を育てる」あたりが正解のようですね。ってもう少し調べてみるとWikipediaに歴史的な解説が。さすがWikipedia。マクロビオティックとも関係があるのかな。まあいずれにせよ国民が賜る方の言葉のようです。
「食育」にまつわる意味作用を乱暴にまとめると、国民の食に対する意識を高めることにより、食料自給率を高め、安全な食品を育て、みなで健康になろう、といったところでしょうか。
うーん。ダメじゃないかな。目的は結構。でも食に対する意識といってもいろいろだしなあ。食品の安全性と価格はトレードオフだし、個人の好み(重み付け)だし。
「好み」って言葉で一括りにするってのもなんだけど、1日2食を牛丼かコンビニメシ、たまに野菜ジュースでOKって人がいてもおかしくないし、大体サプリメントってどういう扱いなのよ。あれって人によっては有効だと思うな。サプリも健康志向の食育つーことでOK?かくいう私も亜鉛とか取りにくいミネラルは気分次第でサプリを食べてプラシーボ効果に浸っているので揶揄しているわけではない。
トランス脂肪酸を避けるかどうかもセンスの問題だし、近海産の魚を避けるかどうか(汚染の回避)も人によって判断が分かれるところでしょう。さらに細分化すればビーガンってどうよってところにも波及しそう。マクロビオティックも結構極端だしなあ。
要するに食についてはあまりにも価値観が多様なわけです。それを十把一絡げに「国民の食に対する意識を高める」か。センスない目標だよなー。官僚バッシングは間違ってると私は常々思ってるんですが、税金使ってこんなことやってんのか。公務員って。どうよ?上の決定には反対できんのか。あなた方の成果ってなんなのさ。あ、言い過ぎたゴメン。私もサラリーマンだから少しは分かるよ。「ムダなことを効率よく行うほどムダなことはない」。ドラッカーはうまいことをいう。
大体ターゲットが「国民」になってるのもおかしいと思うな。国民って誰だよ。官僚と大臣以外が国民か。当たってそうでイヤだな。まあいいや。子供か親か。独り身か。若い独身男が食べ物を気にするか?たまにほうれん草のおひたし食べればOKでしょ?野菜ジュース飲んでます。以上。健康に自信もあるしね。子供には難しすぎて分からないだろうしな。となると親だよな。親が子供に食べさせる食事。ターゲットはここしかないでしょうが。それをなぜ出せないか。なんで「国民」という抽象概念で逃げるか。
親が子供に食べさせる食事という図式が出るや否や「母」というキーワードが出るからだろうな。つまり「子供にちゃんとしたもの食べさせてるのか。お母さんたちよ」というメッセージがすぐに浮かんでくるわけで、そりゃあマスコミ野党入れ食いでしょうな。女性差別だとか家事に縛り付けるのかとか。ほんとどっちもどっちだな。父親が料理する家庭だってそこそこあるだろうに。母だろうが父だろうが祖父母だろうが関係ないのよ。ちゃんと子供にまっとうなものを食べさせてるのか。そこでしょうが。
自分の愛する家族に、国産の旬のものを、伝統的な調理方法で、おいしく料理して食べてもらう。自分の食事なんかどうでもいいんですよ。何が「国民の食に対する意識の向上」だよ。血みどろになって魚を捌いて、むせ返るような血の匂い嗅いで、後の掃除に苦労して、その様子を子供に見せたらいい(ベジタリアンじゃなければね)。食べるってのはキレイゴトじゃない。でも食材をおいしく調理して食べる先人の知恵ってのはすごい。命をもらって、昔の人の知恵にあやかって、おいしいものを食べられる。食べるってのはありがたいことなんだよ、とわけの分かってない子供に繰り返し食べさせて実感してもらうしかないんじゃないか。親が子供に、おいしく食べて欲しいと旬の食材を使った料理を食べさせる、その行為の重要性を訴えなければいかんのじゃないですかね。やれやれ。
もちろんたまにインスタントラーメンでもいいと思いますよ。ご飯作るのって大変だからね。手抜きも重要。子供もインスタント食品は喜ぶしね。あはは。そんなんでいいんじゃないかな。
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認識論とか存在論とか
哲学系です。
歩きながらつらつらと考えごとをしていて、ふと、なぜ認識論なのかな、という問いが浮かびました。
認識論ってのは「そもそも認識とは」「分かるとはどういうことか」を問う哲学の1ジャンルです。アリストテレス、デカルト、ヒューム、カント、フッサールあたりでその問題意識が濃厚ですが、基本的にはほとんどの思想家、哲学者が少なくともかすって通る領域です。言語学やら論理学も微妙に絡んでるといっていいでしょう。といっても「何で認識論なんだ?」という問題意識は普通は分かりにくい。ぐだぐだ考えてないで食ってみればいいじゃねーか。頭で考えたってしょうがない。
昔ハイデガーを論じたなんかの本で、認識論とはすなわち存在論だから・・・という一節があって、よく分からないなりに自分への回答としていたのですが、やっぱり消化しきれていなかったようで、今更ながら「なぜに認識論か」という問いが浮かんだようです。
私的には認識論は(生半可な理解ですが)現象学にとどめを刺す、と思ってまして、実際に普段も現象学的な方法を使ってます。といっても別にわけのわからないこざかしいフレームワークを使うわけではありません。平易な言葉にすれば、何かに取り組む時に「どうして私はそのように考えたのか」「どうして私はそう理解しているのか」という問いを立てていったん反省して時系列に事象を整理してみるってこってす(※)。
つまり認識論って別に形而上的・衒学的・特殊な趣味の世界な訳ではなくて、私にとっては結構実践的な方法に利用できる実学だと思ってます。認識論を念頭に置いていったん反省しないと、偏見やら誤解から抜け出すのが難しい。すなわち認識論を踏まえるってことは「正しい認識に近づく」近道なわけで、そういう意味で認識論が大事なのは間違いがない。ということで「認識論は大事である」という結論はいったん出ました。うん。自分で納得してどうする。
そろそろウルトラマンが帰る時間になってきたので中止します。本当はこれから認識の枠組みとしての5W1Hについて述べて、Whyという問いの重要性に向かい、アリストテレスの四因説を述べて「理由」を理解することの大事さを確認し、いわゆる学校の5教科では「理由」への問いが封じられているのではないか、いや、学校の勉強だけじゃなくて、普段の生活からWhyという問いが失われていないか、という線で書きたかったのですが、時間がないので。
(※2009/7/10追記)
今思えばこれは現象学的方法ではありませんね。
いったん対象(この場合は想念)を保留して、それが経験的妥当性(しかも個人的な妥当性)を持つかどうかを反省していますが、現象学は個々の経験を問題にすることはないので、せいぜい足掻いて「経験的現象学」とでも言いましょうか。
以上。
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歩きながらつらつらと考えごとをしていて、ふと、なぜ認識論なのかな、という問いが浮かびました。
認識論ってのは「そもそも認識とは」「分かるとはどういうことか」を問う哲学の1ジャンルです。アリストテレス、デカルト、ヒューム、カント、フッサールあたりでその問題意識が濃厚ですが、基本的にはほとんどの思想家、哲学者が少なくともかすって通る領域です。言語学やら論理学も微妙に絡んでるといっていいでしょう。といっても「何で認識論なんだ?」という問題意識は普通は分かりにくい。ぐだぐだ考えてないで食ってみればいいじゃねーか。頭で考えたってしょうがない。
昔ハイデガーを論じたなんかの本で、認識論とはすなわち存在論だから・・・という一節があって、よく分からないなりに自分への回答としていたのですが、やっぱり消化しきれていなかったようで、今更ながら「なぜに認識論か」という問いが浮かんだようです。
私的には認識論は(生半可な理解ですが)現象学にとどめを刺す、と思ってまして、実際に普段も現象学的な方法を使ってます。といっても別にわけのわからないこざかしいフレームワークを使うわけではありません。平易な言葉にすれば、何かに取り組む時に「どうして私はそのように考えたのか」「どうして私はそう理解しているのか」という問いを立てていったん反省して時系列に事象を整理してみるってこってす(※)。
つまり認識論って別に形而上的・衒学的・特殊な趣味の世界な訳ではなくて、私にとっては結構実践的な方法に利用できる実学だと思ってます。認識論を念頭に置いていったん反省しないと、偏見やら誤解から抜け出すのが難しい。すなわち認識論を踏まえるってことは「正しい認識に近づく」近道なわけで、そういう意味で認識論が大事なのは間違いがない。ということで「認識論は大事である」という結論はいったん出ました。うん。自分で納得してどうする。
そろそろウルトラマンが帰る時間になってきたので中止します。本当はこれから認識の枠組みとしての5W1Hについて述べて、Whyという問いの重要性に向かい、アリストテレスの四因説を述べて「理由」を理解することの大事さを確認し、いわゆる学校の5教科では「理由」への問いが封じられているのではないか、いや、学校の勉強だけじゃなくて、普段の生活からWhyという問いが失われていないか、という線で書きたかったのですが、時間がないので。
(※2009/7/10追記)
今思えばこれは現象学的方法ではありませんね。
いったん対象(この場合は想念)を保留して、それが経験的妥当性(しかも個人的な妥当性)を持つかどうかを反省していますが、現象学は個々の経験を問題にすることはないので、せいぜい足掻いて「経験的現象学」とでも言いましょうか。
以上。
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2009年5月6日水曜日
聖☆おにいさん、きのこうどん、緑茶、鶏ひき肉詰め高野豆腐の煮物、若竹煮
聖☆おにいさん、今さらですが面白いですね。ブッダとキリストを癒し系のキャラにして弄ってしまうなど、日本以外ではありえないコンテンツでしょうな。究極の善人キャラですね。ハメをはずせないからか、いい意味で節度のあるギャグマンガです。しかし作るほうはキツいんじゃないかな。超頑張れ>中村光さん
昼はきのこうどんです。帰省中に肉・肴・ケーキをギリギリまで詰め込まれたになった体から、脂を抜き、かつ胃を休めねばなりません。
ちゃんと出汁を取るとウマイよ。ホント。もう「これだぜ!」って感じ。で、返しだのしょうゆだの入れて味付けてから、97円くらいのきのこを何種類かぶち込んで火を通します。うどん投入前はちょっとしょっぱいかなーくらいの塩加減が吉。出汁を取った後はグラグラ煮立たせてはいけませんよ。香りが飛びます。暖める程度に。そして別途茹でたうどんをいったん水であらって投入。これも暖める程度。
シンプルでサッパリしてて美味かったですよ。うん。もう少し濃い味でも良かったかもしれませんが、疲れた胃にはちょうどよかったかも。
そして緑茶。
緑茶が体にいいのは分かってるんですが、なかなか飲まないんですよね。ウチの場合、基本はコーヒー。冬にたっぷりと温まりたいときはダージリンティー。でも帰省して祖母(86歳)の家にお邪魔して緑茶を頂くと、多分高い茶じゃなくて普通の煎茶なんだけど、しみじみ美味くて、あー。これこれ。家でも緑茶いれよう、と思うんですが家で入れるとなんか違和感あって美味しくない。しかし、年のせいでしょうか。今回祖母の家で飲んだお茶。これまでよりしっくり体にハマった気がしました。その余韻があったのかもしれません。東京に戻ってから緑茶と急須をほとんど衝動買い。緑茶は奮発してグラム2000円くらいの新茶です。妻がキッチリ正しくいれてくれました。いや、美味かったですね。和菓子と合うよ。これから朝は緑茶でいこう。日本人だしな。
夕食。やはりどうあってもサッパリ系。
まずは鶏ひき肉詰め高野豆腐の煮物のために高野豆腐を戻して切り込みを入れます。それから祖母から貰ったたけのこを再びあく抜き。あとは出汁。
鶏ひき肉を混ぜて高野豆腐に詰め、茄子と一緒に出汁で煮ます。それからたけのことわかめを出汁で煮ます。
完成。いや、残念。たけのこはエグかったですな。ムズカシー。でも出汁はチョー美味かった。それから高野豆腐の煮物はばっちり。(゚д゚)ウマーでした。
以上。
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昼はきのこうどんです。帰省中に肉・肴・ケーキをギリギリまで詰め込まれたになった体から、脂を抜き、かつ胃を休めねばなりません。
ちゃんと出汁を取るとウマイよ。ホント。もう「これだぜ!」って感じ。で、返しだのしょうゆだの入れて味付けてから、97円くらいのきのこを何種類かぶち込んで火を通します。うどん投入前はちょっとしょっぱいかなーくらいの塩加減が吉。出汁を取った後はグラグラ煮立たせてはいけませんよ。香りが飛びます。暖める程度に。そして別途茹でたうどんをいったん水であらって投入。これも暖める程度。
シンプルでサッパリしてて美味かったですよ。うん。もう少し濃い味でも良かったかもしれませんが、疲れた胃にはちょうどよかったかも。
そして緑茶。
緑茶が体にいいのは分かってるんですが、なかなか飲まないんですよね。ウチの場合、基本はコーヒー。冬にたっぷりと温まりたいときはダージリンティー。でも帰省して祖母(86歳)の家にお邪魔して緑茶を頂くと、多分高い茶じゃなくて普通の煎茶なんだけど、しみじみ美味くて、あー。これこれ。家でも緑茶いれよう、と思うんですが家で入れるとなんか違和感あって美味しくない。しかし、年のせいでしょうか。今回祖母の家で飲んだお茶。これまでよりしっくり体にハマった気がしました。その余韻があったのかもしれません。東京に戻ってから緑茶と急須をほとんど衝動買い。緑茶は奮発してグラム2000円くらいの新茶です。妻がキッチリ正しくいれてくれました。いや、美味かったですね。和菓子と合うよ。これから朝は緑茶でいこう。日本人だしな。
夕食。やはりどうあってもサッパリ系。
まずは鶏ひき肉詰め高野豆腐の煮物のために高野豆腐を戻して切り込みを入れます。それから祖母から貰ったたけのこを再びあく抜き。あとは出汁。
鶏ひき肉を混ぜて高野豆腐に詰め、茄子と一緒に出汁で煮ます。それからたけのことわかめを出汁で煮ます。
完成。いや、残念。たけのこはエグかったですな。ムズカシー。でも出汁はチョー美味かった。それから高野豆腐の煮物はばっちり。(゚д゚)ウマーでした。
以上。
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