2011年3月12日土曜日

原発

■今は19:30

15:30ころ、一号機建屋爆発。

10km避難から20km避難へ。

隠ぺいっぽい気がします。パニックを恐れて情報を小出しにし、とりあえず避難させてる感じかな。

最悪の事態?東京はほぼ問題ないでしょうが、当面雨とかに注意でしょうか・・・

http://www.town.mihama.fukui.jp/kikaku-s/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E9%98%B2%E7%81%BD%E3%81%AE%E3%81%97%E3%81%8A%E3%82%8A.pdf

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324799933

ちょっと極端かな → http://blogaffiliate.jp/2011/03/%E3%80%90%E7%B7%8A%E6%80%A5%E9%80%A3%E7%B5%A1%E3%80%91%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.html

東電の隠ぺい体質は昔から? → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

状況注視。

■今は21:07

仕入れから戻って妻からニュース確認。
最悪の事態ではなかったか!?

■21:10

チェルノブイリに近い事態を想像していたので、とりあえず少しは安心。

でもさ、大人はともかく、子供にこんなアブナイもの引き継ぐのか??マズくないか???

■21:24

とりあえず被ばく対策情報収集はいったん終了。
真剣に調べてましたよ・・・水を貯めておくとか、海藻(こんぶ海苔)、大豆発酵食品(みそしょうゆ)を買うとか。

ま、東京は大丈夫なんですけどね。たぶんね。でも子供がね。

・・・

やーれやれ。

情報の出し渋り(?)のお陰で、随分気苦労しました。

でもまあ、しょうがないのかなあ。被害状況が分からない時点で、ずんずん施設に入って見るわけにもいかないでしょうからねー。

■21:45

固唾をのんで見守ってました。今は海水注入中らしい。作業者のみなさん!頑張れ!作業の成功とご無事を祈ってます!

しかし・・・

疲れた・・・。

わたしも妻も、自分たちはまあ10年20年寿命が縮まるのは我慢するとして(※)、子供たちが・・・というところでものすごいストレスがありました(すっかりチェルノブイリなみの事故を想定してた)。

はっきり言って胃が痛かった・・・まだ頭痛も残ってますよ。

今はフーッ!!!とビールを飲んでおります。
(※) 原発の安全性が過大評価されていた。「大丈夫」と刷り込まれていた、ということはありますが、安定した電力共有を享受しながら原発のリスクから目をそむけていた(気にしようとしなかった)のは事実。全く関係ないとは言えない。
しかし、今回の事象を考えるにつけ、このまま原発のある社会を維持してよいものか、と思わされました。

電気はありがたい。原子力はクリーンである。でも、リスクはモノスゴイのである。もうね、ホントに、よく分かった。胃が痛くなるほどに。

じゃあ、どうすればいいんだ、と。原子力の使用が不可避だという前提で。

無責任ベースで言えば、われわれとしては「わーいわーい」と享受してきた電力のコストを見直さねばならないんじゃないか。それが一つ。電力料金を上げて、その費用を安全に向ける必要があるかも。例えば設備が老朽化したらすぐに差し替えるとか、耐震設備をもっとスゴくするとか(素人っぽくてすみません)

あるいは、昔から福島原発ではいわゆるヒヤリハットな事象がいくつもあったようで、それを看過していたことは非常にまずいと思われる。それを第三者機関にチェックさせるために、電力料を上げてコストを負担させるとか。

後はもちろん企業にもそのコストを負担させるべき。

原子力辞めようぜ。という前提なら、地熱発電、風力発電など、代替え手段の検討ですかね。

電力に依存しないような社会=昭和30年代「三丁目の夕日」的社会を作るってのも個人的にはイイと思うんですが(でもウォシュレットのない生活はキビシイか)、生活レベルを下げる発想は到底受け入れられないでしょう。

ちょっと真剣に考えざるを得ないんじゃないですかね。今後は。

東日本大震災体験@江東区

ぐわんぐわんとオフィスの入ったビルが揺れました。ビルが倒れるとは思わなかったんですが、さすがに怖かった。高いビルのためかユラーンユラーンと気持ちの悪い揺れ方。ほとんど船酔い状態です。今でも時折頭がぐらぐらして、余震だか地震酔いの残滓だか分かりません。

仕事中、軽くユラユラッときて、ああー。また地震だねー。なんて周りから声が聞こえたと思ったら、ゆらりゆらり・・・ぐらりぐらり(ぐりとぐら)・・・ぐわんぐわんと揺れが広がって「おおお!」とか「わー!キャー!」という声。歩いていた人も立っていられなくなり、座っている人も青ざめて机にしがみつき、空の椅子やらキャビネが流れる事態に。

しばらくしてようやく落ち着く。コピー機、シュレッダーの位置はズレていて、棚も倒れている、という事態。へたり込んでいる若い子も。

「死ぬかと思ったよ。あはは」(すれ違ったかつての上司)「いや、揺れて死ぬことはないっすよ」とわたし。

でも、怖かったのは確かですな。つーか、揺れが気持ち悪い。

その後徐々に入ってくる情報を耳にして、こりゃ交通機関はアウトか。できれば帰りたいけどオフィスに泊まる可能性が高いな。と覚悟を決めるわたし。携帯のワンセグが凄く役立ちました。しかし何ということでしょう。痛恨の充電器忘れ。電池メーターは2/3という要注意状態。周囲は帰るモードで、充電器の借用もままならず。仕方がない。とりあえず凄い地震らしいと理解した後は、電源の節約のためにやむを得ずワンセグ中止です。

それから何度か家に電話してようやく家族と連絡が取れ、無事を確認。妻の声はワリとヘーキだったのでとりあえず安心。その後、実家にも無事を伝えました。

オフィスの様子。ほぼ皆が浮足立ってました。それから恐怖の反動でハイになった人が1名。同じく仕事にしがみついている人が2名。

仕事の人。すごい勢いで(明らかに重要でない)仕事して恐怖から逃げている模様。

ハイになったアホ。窓から火事を見て「火事や!火事や!スゲー!」と興奮する様子が大変不快。恐怖でオカシクなった模様。

しばらくして「電車はダメだがバスは動いているらしい」という風評が広がり、「とりあえず家に向かおう」「今出ないと、家に帰るのが深夜になってしまう」という雰囲気になりました。社員は解散モード。ゾロゾロと下に流れて行きました。わたしと同じチームの一人も「このまま残ってると貧乏クジ引きそうな気がする」と気になる発言。「え?貧乏クジ?何で?」「うーん。ただの勘だけど」ととっても嫌なカンジの言葉を残してオフィスから退出。(月曜に連絡あり。やはりすぐ近くで足止めをくらい、夜を明かしたとのこと)

でも、わたしの勘はその反対でした。ちゃんと正確な情報を手に入れて判断しないとダメっしょ。ここは「急がば回れ」一択。エレベーターは止まったけど、電気も水道もトイレもあるし、ビルに残るのが一番安全じゃん?

17:00過ぎには、オフィスにはわたしと他数名が残るのみという状況(仕事ジャンキーやどうあがいても帰れない遠距離の人たち)。泊まり覚悟はできています。家族と家の無事が確認できたということもあってワリと余裕。

バスを求めてゾロゾロと出て行った他の人を、本当に大丈夫か?ダメじゃないの?などと案じつつ、とりあえずコンビニに行ってカロリーメイトその他食料と(迷って)酒を仕入れて長期戦モードです。レジの前には長い列が出きてましたが、この時点ではまだ商品は残ってました。幸い大きい余震は買い出しの途中、ビルの下にて経験。気持ち悪くはなりませんでした。助かった。

19:00頃。カロリーメイトとワインで夕食。カロリーメイトひっさしぶり。学生時代以来じゃなかろうか。ワリと美味いしく頂きました。ワインと合う。カロリーメイトは食べ過ぎのけん制にもなったかも。結構楽しく夕食を済ませました。それからウィスキーをチビチビ呑みながら岩波の臨済録を読み返す。ピンチの時に臨済録は結構しっくり来ます。もう一度妻に連絡を取って交通機関の情報ゲット。JRは終日アウト。メトロ、私鉄も様子見。道路は渋滞。子供とちょっと会話(電話越しに子供たちの声を聞くと、なぜだか涙がにじむ・・・)。図工の時間だったんだよ!塑像が落ちたんだよ!とコーフンの報告を受けました。そうかそうか。そりゃあ大変だったなあ。じゃあ、お休み。お休みなさーい。と電話は終了。うん。やはりオフィス一泊が正解じゃなかろうか。みな大丈夫だろうかと思いつつ、会社の非常食をツマミにウィスキーをチビチビ。

眠くなって来たので、段ボールと新聞紙、椅子を組み合わせてベッドを作り、酔っ払って就寝。(酔っ払ったのは失敗だった・・・)

オフィスでは例の仕事の人が頑張っていたので電気は付けっぱなし。甲高い声で仕事してるし(朝の4時過ぎまでやってた。勘弁してくれよー)、呑みすぎたし、ビルの管理会社からの緊急地震アナウンスもあったりであまり快適な睡眠は取れず。

終始うとうとしながら6:30に起床。購入しておいたSOY JOYとスナック菓子を缶コーヒーで流し込み、ビルの放送によって地下鉄が復旧したことを知り、念のため妻に確認取って、昨夜のアルコールが残った体でヨロヨロと帰ったのでした。

嬉しかったのは、久しぶりの子供たちからの歓待。お父さんだ!ギャー!と飛びついて来た。いやあ、家族合流できて良かった・・・。としみじみ思いました。しかし、同時に家族と消息の取れない方のご心痛はいかばかりか・・・と胸が痛みつつ。

↓わたし同様苦労した皆さん
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103120318.html

【メモ】
Cメール、携帯Eメール両方役に立たない。少なくともソフトバンク、AUでは。(NTTもダメだった模様)

携帯Webは問題なし。ブログ/掲示板などで安否を報告できそう。

今回、わたしはブログとPCメールで妻に連絡、妻からは携帯Eメールでわたしに連絡(送信できるけど届かない)というすれ違い。お互いメッセージは届かず。家族で連絡方法は決めておこう!

M-ZONE(ドコモの公衆無線LANサービス)もOKでした。

ワンセグは役に立つ!でもラジオの方がいいか。携帯の電源は貴重。

充電器は必須。手動充電器を検討してもいいかも。

酒は呑まない方がいいですが、ストレスなどで呑まずにいられない場合は適量で抑えること!災害の翌日、二日酔いや胃腸の具合が悪いと最悪です!

同様に食べ過ぎにも注意。腹6分を目指すべき。食べたら出さなきゃいけないし。今回トイレが使えたのが大変助かりました。使えないと大変ですよ。(携帯トイレとかあってもいいのか)

比較的新しい東京のビルは倒れない/崩れないと信じて、落ち着いて情報収集&行動。

人は集団で動きがち。どんなにいいと思われる選択でも、多数の人が群がると機能しないことがある。あるいは良くない選択なのに我も我もと群れることがある。人の動きにただ従うのではなく、冷静に判断。

新聞紙毛布はさほど温かくはありませんが、ないより全然マシ。出来るだけ大きいサイズで、3枚以上重ねたい。

寝袋が理想的だけど、さすがにマイ寝袋は持って行けないしなあ・・・

普段からカロリーメイトを3箱くらい、水(+ワイン?)を常備しておくのもいいかも。

いかにもな非常食はさびしい。特にアルファ米系。むしろカップラーメンの方が楽しいか。

やはり足腰が大事。10F以上はエレベーターが止まると大変。もちろん2,3駅歩くためにも。

そんなところかなあ。

2011年3月11日金曜日

いやびっくりした

とりあえず無事です 15:32

練馬はどうだったかのう。

スパムフィルタがキツすぎるんんじゃないの?と聞いてみたら

結構スパムフィルタが厳しいんですよねー。

せっかくコメント頂いたのが、大抵スパムとして扱われてます。いや、それどころかログインして自分で投稿しても、6、7割スパム扱い。何でやねん。

しょうがねーなーと思って運用で何とかしてたんですが(マメにログイン&スパムトレイチェック)やはり限界もありますからねー。それに、先日自分が投稿したコメントを、10分後にチェック、スパム扱いされてないことを確認して安心してたら、何といつの間にかスパム判定くらって、2日間気が付かなかったという。

さすがにそりゃないんじゃないの。と思って、bloggerのサポートに日本語コメントの扱いが厳しすぎるんでないの?と投稿してみたら、さっそく返事が来てビックリ。無視されるかと思った。

曰く、

1.スパム検出プログラムはまだ新しい。どうしても英語優先、次にラテン文字系の対応となり、その他の言語は最後になる。ことにアジア系言語は難しいのである

2.しかも、アジア系言語を混ぜたスパムが案外多いのである。だから、外人のブログに日本語で投稿しても、弾かれる可能性は高いが、それは仕方がないのである <んなことせーへんわ!

3.外人のブロガーも当初は苦労したのだから、もう少しガマンして使って欲しい。いずれは改善されるはずである

って。

全然謝ってないし。(笑)

ま、分かりますけどね。無料のサービスだし、わたしもエンジニアの端くれだから、この人の「謝らない」トーンは実は共感できる。日本語対応の難しさも、プログラミングの難しさも分かるから。

しかし「お、コイツ謝ってない」ということに違和感を感じたわたしは、やっぱり日本人なのだなあ、と変なところで感心したのでした。

以上。

2011年3月10日木曜日

チキンピカタ

これはですね。木を削った日だ。(独り言)

用事を済ませたら、あたりはすっかり暗くなってしまっていて、おかずの準備も出来てないし、ご飯も炊いてなかった、というワヤワヤの夕方でしたね。とりあえずパン屋さんでバゲットとか購入して帰宅。

スーパーで鳥胸肉を1キロ購入していたので、それで何か作らねば、と。鳥胸肉は安くて美味い。ありがたやありがたや。

思いついたのがチキンピカタでした。フライより簡単だしね。

ということで、鳥胸肉をザクザクと切り分けて、小麦粉卵まぶして


多めの油で焼き目をつけ、ふたをして少々火を通したら完成。


後は定番の小松菜(ほうれん草の方が美味いかな)にんにくオリーブオイル炒め。食べかけの写真しかなかったので割愛。

胸肉はスープとかシチューに入れてもいいですが、油をまとわせるような調理がベストでしょうか。

一家で鳥胸肉1キロ。二食に分けて物足りないくらいになってきました。下の子がもう少ししたら一度に食べきるんだろうなあ、と思います。

以上

2011年3月8日火曜日

ブリ大根、卯の花(豆腐工場見学とか)

料理するとき、とりあえず写真撮るんですね。もはや習慣化しています。で、写真見て「あれは美味かったなー」って思い出すような調理は、ブログにアップするのも楽しいワケですが、それ以外はもうマンネリでございます。ま、後で調理する時参考にならなくもないのと、せっかく撮った写真なのでアップです。

淡々と調理。まずはブリ大根です。

王道手順。米のとぎ汁で大根を炊いてみました。たまたま直前に米を研いだから。

それから妻のリクエスト「ぶりの肉も食べたい」ということで、アラだけではなく切り身も追加。


大根は鍋でぐつぐつ。ブリは圧力鍋で20分。後合流。


次は卯の花。

そうそう。豆腐工場に見学に行って貰ったオカラでした。


生協のイベントで豆腐工場見学。生協関連ということで、やはり「こだわり」の豆腐やお揚げを作られている会社で、工程を見ながら感心。他社さんではここで石油からナニした消泡剤を使いますが、ウチは手で泡を取り除いてます。その分、豆乳のロスが35%※ほど出ちゃうんですけどね。敢えてこだわりの製法で。あと油揚げは手で揚げてます。熟練の工程です。とかとか。
※正確には「消泡剤を使えば1,000丁取れる量の豆乳でも、手作業だと650丁ほどしか取れない」という発言だったという記憶
なるほどねえ。と感心。

しかし、ぶっちゃけ、味分からんのよね。

何てことを言うと、いろいろな方面を敵に回す&軽蔑されるかもしれませんね。(この人味オンチなんだー。フフン。どうせボケーッと食べてるんでしょう。フフン。)

さすがにスーパーの安い豆腐は「不味いかも?」ってことはありますよ。

近所にいかついオジサンが作ってるお豆腐屋さんがあります。夏はここの冷や奴で一杯やるのが楽しみなんですが、しっかり「添加物:消泡剤」との表記あり。でも美味いんですな。ちなみに1丁150円前後くらいだったかな。そんなに安くはありません。

だから、どちらが良くないってことはないんじゃなかろうか、と。どっちもいいのだと思いますね。(丸く収まったかな)

しかしま、こだわりの工程を見て、これなら高くてもいいな。リーズナブル。と思えたので、それはそれで良かったと思いつつ、暖かくなったらまたあの豆腐屋さんの豆腐で一杯やるか、などと思ったのでした。

ちなみにブリ大根はそこそこ。大根自体の味がちょっとぼやっとしてたかな。卯の花は化調白だしを援用したおかげで若干ジャンキーになっちゃいました。こだわり豆腐工場のおからを、化調でおとしめたワケで、ヤボなことやっちゃったなあ、と苦笑です。

以上。

2011年3月6日日曜日

花粉症とか子供の落書きとか

今思えば一昨年あたりから花粉症の気配がありました。それまでは全然大丈夫だった。

一昨年。花粉症の季節に、目がかゆかったことがあったんですね。でも、体調もイマイチだった。風邪か?花粉症か?分からん。と思いながら、無事年を越しました。

昨年。やはり目がかゆかった。そろそろこれはヤバいか?という感じがありました。でも、体調がよければ全然気にならなかった。また無事一年終了。

今年。いよいよ来ましたね。最近、いきなり目がかゆい。これは、とうとう来ました。花粉症。やっぱり突然来るんだ。感心。体調にも左右されますけどね。目がかゆくて鼻水が出るという感覚はかなり厳しいものがあります。

先達たちの話を聞く限り、まだまだ重症ではないので、慎重に対応したいと思っております。

さて、全然別の話。

先日下の子が書いた落書き。


アルバムをイメージして、ダンボールに書いた模様です。その中の一言。


「アルバム」「あんなことあったなー」「みんなしあはせになーれ」「ゆめ」

みんなしあはせになーれ。自然にこんな言葉を思いつくんだなあ、と感心しつつ、自然に相好が崩れた妻と私だったのでした。

以上。