2009年6月27日土曜日

パン、キュウリスティック、ニンジン即席ピクルス→ニンジンサラダ、ツナディップ

夜間一次発酵まで準備する体力がありませんでした。やっぱり梅雨時は体調を崩し勝ちみたいです。何かだるいっつーか。

ウドンがいいかパンがいいかと子供に聞いたら当然のごとくパンがよいとのこと。朝6:30からパン作り着手。
 
卵液200ml+強力粉300g+塩小さじ一杯+砂糖大匙二杯+イースト小さじ一杯+バター25g(多め)。水分が多い感じでなかなか生地がまとまりませんでした。さすが梅雨時。

  
油脂が多かったのと、しっかり捏ねたせいでツルッとした一次発酵の仕上がりはいい感じ。その後切り分けて二次発酵、焼きへ。もうね、最近はベンチタイムとかとりません。面倒臭くて。

 
あとはキュウリスティックとニンジンの即席ピクルス。このニンジンピクルスがかなりビミョウ。生ニンジンの酢+砂糖まぶしか?すなわち食べた瞬間クエスチョンマーク(?)が出まくる、みたいな。しょうがないので細かく刻んでマヨネーズと和えてみました。少しマシになった。後はタマネギとツナのディップ。パンにはさんでアンパイ(゚д゚)ウマーでした。
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鬱に関する考察、冷シャブ(豚肉、牛肉、水菜、レタス、オクラ、キュウリ、キャベツ)、ソバ

やっぱり最近鬱っぽかったのかもしれません。鬱が哲学方面の思索を呼び込んだのか、あるいはその逆か。

正しいことって何だ?と考え始めるとだんだんヤバい方面に向かいますね。これはやはり正しいことってのはもう身も蓋もない真実っていうか、どうしようもないっていうか、それよりも刹那的な現在を楽しむことの方が大事じゃないのかな、そんな気すらしたりして。いやあ、ソシュールがアナグラム研究に向かったのも分からんでもない。人間的なるあらゆる価値を乗り越える超人(by ニーチェ)が必要なのは間違いないのではないか。

だってそりゃあ美味いマズいも所詮は差異としてのシーニュかもしれませんよ。でも、美味いものを食ったときの幸福感とマズいものを食ったときのがっかり感ってのは重要だよね。食べ物ですらこれほどまでの多様性を持つのか、という感動っていうか。一切は無である。そんなニヒリズムに向かう前に、存在そのものを享受すべきではありませんか!コトバ以前のリアルが、実は普通に目の前に広がっているんじゃないか。無意識って、本当に無意識なのかな。逆に意識がある時間ってどんだけあるっけ?すなわち無意識=ボケーっとしている時間の方が多いんじゃないの?そして、無意識は存在という奇跡を大いに楽しんでるんじゃないかな。ってことは、ラングもパロールもランガージュもなく、生きるための誤謬としての真理もなく、ありのままにボケーっと存在し、時を生きている自分がいるんじゃないの?そんな風に思うこともなきにしもあらず。論理的な意識のみが人にあらず。現象学が面白いのはその辺への射程も含んでいるところ。おっと。哲学系の話題はしばらくは意識的に避けてみるか。

というわけで(どういうわけだ(ってありがちな話題展開だな))、冷シャブとかソバとか。

冷シャブははなまるなんとかを参考にして、片栗粉まぶしでいきました。ツルンとした食感が悪くないっす。

写真にしてみれば緑一色ですが野菜関係は結構仕事してます。レタスをちぎってキャベツを千切りにしてキュウリを薄切りにしてオクラを刻んで水菜を切って。定番のゴマドレッシングも作成。
 

後はソバ。例によってちゃんと出汁を取りますよ。市販のもいいツユが出てますけどね。化学系材料不使用とか。味も悪くない。でも自分で作ると香りが全然ちがいます。しかもそんなに大変じゃないし。
 

私は納豆ソバで頂きます。青ネギもたっぷり刻んでます。

美味かった。しかも低カロリーです。
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イワシとトマトのパスタ、枝豆

そろそろ夏ですなあ。

 
トマトとにんにくを刻みます。

 
それからイワシを手開きに。塩と酒に付けておきます。

 
フライパンを熱してオリーブオイルとにんにくとイワシを投入。エイヤで炒めます。タイム少々、バジル多めで。それからトマトを放り込んで火を通します。相変わらず盛り付けのセンスなし。

トマトがフレッシュな感じです。酸味がさわやか。イワシとも合います。レモン汁をかけるとなおGOODでした。子供には当然不評。魚はどうしても嫌われますな。

 
あとは枝豆を茹でて食べました。夏は枝豆とチューハイで決まり。本当はビールが飲みたいんだけど。
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2009年6月26日金曜日

「エロティシズム」ジョルジュ・バタイユ ちくま学芸文庫

★☆☆☆☆☆:稀に見る悪文

ひどい。残念。非常に興味深い書籍で、読みたいと思っているんですが、翻訳のせいで台無し。

しかし原則としてこれは、不連続な存在の死だけが決定的に作り上げることのできるような連続性が勝らないという条件下でのことにすぎない。

日本語としてなってない。
つまり、肉体のエロティシズムは、個人の不連続性をまだとどめているし、しかもそれは反世間的な利己主義という意味合いを帯びてのことなのである。

なんか主語と述語の一致がビミョウ。

もう例には事欠きません。

いや、わざわざこんなくだらない悪口を書きたくなかったんですが、もう残念でもったいなくて腹が立って。ヒドい翻訳としか言いようがない。あー。金返せ。原書(フランス語のはず)あたる体力もないしな。英訳を買う金もない。残念無念。
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物理学って不思議だ

何で数式で客観的世界の振る舞いを記述できるんでしょうね。不思議だ。物理理論って?数式って何だ?

アインシュタインは神を信じていました。e=mc2でしたっけ。こんな綺麗で簡潔な法則が成立するのならば、そして人間にそれが理解できるとすれば、誰かがあらかじめその物理法則で宇宙を作ったに違いない。そしてその法則が理解できるような認識構造を人間にプログラミングしておいたに違いない。

別にe=mc2に限った話でもありません。モノが落ちるスピードや放物線、月や地球の軌跡だって数学と力の理論で説明できてしまう。何でだろう。

私含む神さまはあまり信じられない人向けの一つの仮説。進化の過程で脳がとにかく現象を数字とロジックで記述できるようになってしまった。それほどまでに進化ってのは凄いことなんだ、と。コンピュータが2進数で情報を処理できてしまうように、人間が持っている論理機能を使えば結構自然を記述できてしまう。全ては偶然のたまもの。世の中奇跡だらけ。まあ偶然も奇跡も人間のシーニュ=差異としての価値評価に過ぎませんけどね。

実に不思議。

ええと、何で物理学に思いを馳せたかというと、ソシュールショックのせいです。差異しか存在しない。概念に対応するような実体は存在しない。人間はカオス的な外界に差異の体系をあてはめて「ああすればこうなる」式のフレームワークでカオスを改変している。つまりカオスとの相互作用によって人間は世界を作り出している。

なるほど。と思います。しかし、常識的態度からは受け入れがたい話です。言葉や概念があって、それに対応する実体がある。当たり前じゃないか。椅子は椅子だ。その上に私は座っている。椅子の構造も分かっている。使いなれた椅子。それを椅子の実体と呼ばずして何と呼ぶ。

相対性理論だって量子力学だって、とにかくつじつまは合っている(らしい)。実験や観察によってその理論を確認できるらしい。そんなものは幻想かもしれない。たまたまかもしれない。あるいは実はあたりまえのつまらないことなのかもしれない。でもそこに誰かにとっての価値があれば、それでいいじゃないか。

ソシュールの理論を突き詰めると、あらゆる価値が相対化されてしまう。そこからニヒリズムに向かわないようにしたいものです。科学にしても、宗教にしても、原理主義じゃなければそれでいいような気がします。愚かな信仰があり、墓穴を掘る行為がある。でも、それが人間でしょう。科学技術だって上手く使えばいい方向に持って行けるんじゃないか。たとえば太陽光発電とか。

うーん。難しい。
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2009年6月25日木曜日

b-mobile3G ラストインプレッション

やはり150時間多すぎ。ってこれ前にも書きましたね

一日2回のメールチェックならびにたまの調べ物だと、多すぎな感じです。たまたま最近調査対象がないのかもしれませんが、少なくとも足りないってことはない気がします。いい線ってところですかね。実は1~2MB程度のPDFのダウンロードとかもやっちゃいました。贅沢だね。でも並行してasahi.comとかの巡回もできるので、浪費している気はしませんでした。

バッテリーの減りもさほど気になりません。以前、バッテリーの残容量が少ない状態で通信していた時、異様に減りが早かった記憶があるのですがひょっとしたら記憶違いかもしれません。

まあとにかくb-mobile3gには満足しています。
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2009年6月24日水曜日

枝豆、冷シャブ、冷やしウドン、ソバ

い~つの~こと~だか~♪思い出してご~らん~♪まあここ数週間以内に作ったことに間違いはない。

 まあ枝豆ですわ。
妻は頑張って両端をはさみで切ったりするわけですが、私が作るとまあその辺のことはかまへんやないか、と。

 
これは冷シャブ。生協の薄切り豚肉が美味かったですよ。生協のドレッシングをかけただけでかなりOKな感じ。って生協の回し者だな、こりゃ。

 
ネギとオオバを刻みます。


ちゃんと濃い目に出汁を取って、かえしとあわせて付けダレを作りました。私のそばちょこにはよく練った納豆を。その上に付けダレを注ぎます。納豆のネバネバが絡んで美味いんだなあ。これが。

ごちそうさまでした。
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「ソシュールを読む」丸山圭三郎 岩波セミナーブックス

★★★★★☆:一点突破の思想は大好物です

読みました。やっぱソシュールすげー。

コトバが指している実体なんてない。あるのはコトバ間の差異だけ。差異が意味を決める。ってことは神も金も人間も存在しない。アカギタカシついに狂ったか。いやいや。果たして狂っているのは誰でしょう。金に狂ってる人間。宗教に狂ってる人間。政治に狂っている人間。世間や会社という共同幻想に狂っている人間。何が正しく、何が狂ってるんでしょうね。ってまあほどほどにしておきましょうか。

しかし一笑に付されるのも悔しいので、例えば私にとって極めて強いリアリティを持つ「娘」という言葉について考えてみます。

ソシュールによれば「娘」ってのはシーニュ(記号)であって、それはシニフィアンとシニフィエが不可分に合体したものです。シニフィアンというのは意味しているものでシニフィエってのが意味されるもの。ただしここで要注意。シニフィエってのは、シーニュが指す実体ではないんです。存在するのはシーニュのみ。シーニュにシニフィエが含まれている。すなわち「娘」というシーニュにシニフィアンとしての娘とシニフィエとしての娘が含まれている。そしてシーニュは、非息子/非自分/非他人としてネガティブ(否定的)に定義されているに過ぎない。娘というシーニュそれ自体が存在するわけじゃない。

でもおれの娘はおれの娘だ。実際にそれ自体として存在してるじゃないか。そうじゃない。娘ってのはシーニュなんですってば。膨大なシーニュの体系すなわち文化や制度、それから個人的な歴史が積み上がってあなたにとっての「娘」というシーニュが出来上がっている。すなわち娘とは差異の体系に織り込まれたシーニュに過ぎない。娘が娘である(娘の同一性)というのは娘というシーニュが反復可能である、その一点にかかっている。「娘」というシーニュに付属する重みやリアリティってのはまた別の働きなわけ。もうついて行けない?まあいいです。それが普通ですよ。

言語は人間の持つ科学やら思想やら宗教やら文化やら、要するに動物的ではない人間的なるものすべての基礎になっている。言語と欲望が社会を作り出した、と。うむむ。なるほどねえ。と感心することしきりでしたね。
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2009年6月22日月曜日

写真について

写真とはすなわちPhotographであって、Photographとは、光(ギリシャ語)+図とのこと。すなわち光の図。

写真と書くと、真実を写す。そのように読み取れますが、もとはと言えば光の図。それがフォトグラフ。

まあ、ここまで「楽しい写真」の受け売りです。しかし写真=「真を写す」か。真って何?本質を写せる機械ってほとんどドラえもんの道具だね。

私はフォトと呼ぶことにします。少なくとも今、今日、このブログで。

 
しかしフォトってのは面白いです。まず現場の印象通りには仕上がらない。その場の空気って、フォトからは絶対に伝わらない。立体的な見晴らしや空気、匂い。フォトからは全て欠落している。フォトが吸収するのは光だけです。その場の一瞬の、N分の1秒の光。デジカメがそれを記録する。

  
これはセコイアの新芽。撮り方によって印象が大きく変わる。

土門拳「筑豊のこどもたち」。フォトのパワーを思い知らせてくれる本です。そこに写っているのはけなげで貧しく、愛しい子供たち。写真を見るだけで泣けそうになる。しかし、それが真実だったのか。

  
一瞬にして移り変わる光。太陽から8分以上かけて地球に到着する粒子あるいは波動。地球を照らし、その光が私たちの感覚器を刺激する。そして植物はそのエネルギーを不断に吸収している。確かに光は目の前にある。そのエネルギーはいのちを育てている。さて、真実はどこにあるのでしょうか。
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2009年6月21日日曜日

アジの蒲焼き、ウィンナとナスとタマネギのソース炒め、茹でアスパラ、アサリの赤だし

やはり和食ですよ。うん。

とりあえずアジを三匹買ってきました。どうしようかな、と。素直に塩焼きで行くか。蒲焼風で行くか。蒲焼風の甘辛いしょうゆ味にひかれるなあ。でも朝食のパンが残っている。塩焼きならパンと食べられなくはない。しかし同時にアサリも買ってしまった!アサリは味噌汁にする予定であり、パンと味噌汁はさすがにどうかと思う。とすれば蒲焼。蒲焼で決定。
 

それとは別にナス・ピーマン・タマネギ・ウィンナをソースで炒め、アスパラを茹でます。
  
ソース炒めは「いまいち」に限りなく近い「そこそこ」な感じ。まあ、よしとしよう。

 
いずれも食べかけです。冷静に撮る余裕がなかった。味噌汁はアサリをグラグラ煮立たせない方式。美味かった。大正解。アジの蒲焼はまんまアジの蒲焼で美味かった。

満足。(しかし今週末は疲れました・・・)
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パン2種(ジャガイモパン、ウィンナパン)

マンネリパン焼きです。やはりパンを焼かないと落ち着かない。おかしなもんです。

習慣はあらゆることを可能にする、と言ったのは確かモンテーニュ。パンを焼く作業も習慣にしてしまえばなんてことはありません。はてそもそも習慣にする必要性があったのか。


昨夜の仕込みです。
強力粉200g、全粒粉100g強、水200cc、バター20g弱?砂糖大さじ一強、塩小さじ一強、イースト小さじ半分。
水分が多すぎたので途中で強力粉を追加。要はテキトーです。ホントはダメなんですけどね。つーかもうほとんど何も考えずに作ってますよ。パンを作るのが習慣と化した人。
捏ねて冷蔵庫へ。


朝。いい感じ。
ウィンナーと昨日余ったふかしジャガイモをくるんで二次発酵。

仕上げにケチャップとマヨネーズをのせます。
マヨネーズはたっぷり大さじ一弱。ドカンとのせないと物足りない感じになります。
市販の惣菜パンに大量の油脂が入っていることを実感します。

出来上がり。あとはキュウリとトマト。まあ普通に美味かったです。

本日も子守でした。昼食は子供たちの希望で昨日に引き続きモスバーガー。やれやれ。またか。ファストフード系ではモスは気に入ってる方なんですけどね。連チャンだとさすがにキツい。肉系は昨日食べたから、フィッシュバーガーにしようか。でもいっそたんぱく質を回避して十勝コロッケバーガーにしよう。ポテトとセットで。

食べてから気がついた。コロッケって脂吸ったジャガイモじゃん。フライドポテトもそうだし。私の昼食はイモと脂でしたか。そうですか。

そういえば妻抜きの親子で食べるのは久しぶりだったなあとブログ書いている今気がついた。もっと子供たちとの食事を楽しめばよかったな。食べている最中はそんなことを考える余裕なし。ほら、こぼすよ。あぶないあぶない。あー脂っぽい。ジュースの置き場所、あれじゃひっくり返すんじゃないか、とかとか。幸い怒りメシにはなりませんでしたけど。

もう夜はどうあっても和食を食べるぞ!

以上。
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