2009年5月30日土曜日

読書(「使える現象学」「差異と反復(上)」「龍樹」)

個人的メモな感じで。

■「使える現象学」 レスター・エンブリー ちくま学芸文庫

★★☆☆☆☆:実践的ではあるが・・・

そこまで精緻に考えるか。ついて行けない。体力的にムリ。やはり食べているものが違うからか。ゴボウとか食べてたら現象学的な思考にはついて行けないんだ。肉食わないと。

現象学的方法論で周りを見ていると、自分の周りの世界が認識の習慣で成り立っていることが分かるかもしれない。それはそれで面白いでしょうが、それに気がつくプロセスとしては現象学は大仰過ぎるし遠回りすぎかな。まあ適当に方法論をつまみ食いして簡便なフレームワークとして利用するあたりが要領がよくて賢いと思われます。アカデミックな方面から反発がきそうだけど。でも人生は短い。誤解でもいいから適当に利用した方が効率がいい。煩瑣な議論は学者の皆さんにお任せ。

何とか読了。でも後半はほとんど流し読み。

2009/7/14に再読しました。

■「差異と反復(上)」 ジル・ドゥルーズ 河出文庫

☆☆☆☆☆☆:デリダ、ドゥルーズをありがたがる必要はない

何言っているかさっぱり分からない。でも何か興味深いことを言っているような気はする。読んでて小難しいけどありがたい話が載っているような気がする。すなわち読む自分に自己満足するような感じ。それだけでも貴重かな。

同一性と差異という根本的な問題意識を徹底的に考えている感じ。時折(50行あたり1行くらい)ハッとするような箇所がある。それを手がかりにやみくもに読んでいる。到底理解できるとも思えないけど、読了すれば何かが得られそうな予感はありつつ・・・。あああ。やっぱダメ。ついて行けない。これもまた食べているものが違うからか。(安直な理由付け)

養老猛司氏が「要するに同一性なんて脳の機能だろ」というところで片づけているところをものすごい体力かけて分析し、哲学史を再構築してる感じ。付き合ってられなくなって挫折。ムリっす。

■「龍樹」 中村元 講談社学術文庫

★★☆☆☆☆:あまり心に響かない

東洋の思想はまたわけわからんですね。一切のものは空である。そしてまさにそうであるがゆえに一切のものは空ではない。みたいな。確か金剛般若経も全面的にそんな感じ。どうみても矛盾だろ。でもあまりに明らかに矛盾してるので、なんか考えてみなきゃならんのかな、と思わせる。

西洋と比べて言葉に対する思い入れ度が全く違うのがよく分かります。まあ、あっちのロゴスは神の作りたもうたものだしな。反対に、東洋では言葉に対する不信感というか言葉に限界を感じている様子。

ちょっと気になったのは、法=ダルマに関する叙述。

般若心経に「不生不滅不垢不浄不増不減」などとあって「生まれることもなければ滅することもない。汚いということもなければ清いということもない。増えることもなければ減ることもない」などと普通訳されます。東洋的でアタマではいまいちよく分からないわけですよ。対立概念を出して、両方とも違うんだと。何となく聞くと、はあそういうもんですか、と思いますが、少し考えてみるとおかしい。

で、この「龍樹」を読んでみると、仏教思想史上、法=ダルマってのが実在的に捉えられたことがあったらしいんですね。どういうことかというと、確かに個別の存在は無常ではかない。でも、極端を言えばすべての実在は無常であるかもしれないが「無常」という*コト*は普遍的に存在するんじゃないか。そうじゃなきゃ、すべては無常だなどと言えないわけですよね。言い換えると無常が常に存在しなけりゃあ「一切は無常である」という命題が真理であるとは言いえない。この無常ってのは個々のモノではないわけです。すなわち個々の実在の上にあるような存在。すなわち法。だから法ってのは個別の案件を超えて実在するんじゃないか、そういう思想です。(と私は理解しました。便宜的に。)

そう考えると、逆に「不生不滅」ってのが面白くなってくる。つまり、法なんて実在的にとらえるんじゃないよ、そういう観点ですね。(一応時代的には逆転してるんですけどね。法=ダルマ=実在、という発想はゴーダマ・ブッダ以降の解釈なので。まあその辺の細かいことはええやないか)。

つまり「生まれるということそれ自体=法」も、「滅するということそれ自体=法」も存在しないのです。ただ生まれ、滅するのは、他ならないあなたという存在なのですよ。あなたはあなたであり、生まれたとか滅するとか、汚れているとかききれいだとか、増えるとか減るとか、そういう風に簡単に一般化できない存在なのです。

だから世界の中には、色彩などというものもないし、何かを受け入れるということもないし、想うこともなければ、行動するということもない。認識することもありません。眼もなく耳もない。鼻も舌も身体も意識もない。・・・ とかと続くわけですが、これは一体何をいってるんでせうね。言葉の否定か。うむむ。

やはり般若心経は面白い。単なる言葉遊びじゃない気がする。でも仏教って論理的にシステマティックじゃないので、勉強すれば分かるっていうものでもなく、そういうあたりがまた興味深いのかもしれません。

■まとめ

やはりその50%以上を「誰それはこう言った。一方誰それはこう言った」という引用が占めている書籍は信用なりませんし、読むのは時間の無駄ですな。昔から何となく思っていたことだけど。

すなわち批評とか評論とかのほとんど99.9%以上は読むに値しない。断言しとく。ジル・ドゥルーズもそうだったよ。すみませんね。ブタに真珠で。でもこのブタも一応考えるブタでして。

中村元。仏教系の原点を当たろうとするとどうしようもない権威なわけですけど、やっぱりアカデミックな文献クリティークがメインな人のようで、はっきり言って読んでてどうかなって感じです。哲学的読解力にも疑問符がありますよ。ええ。言いますよ。ブタに真珠のブタの方かもしれませんけどね。アカデミックに評価されているからといって、その書物が私にとってどうかというのは別問題です。

やっぱり、他人の言葉に頼らず、自分の言葉をコツコツ積み上げる人の方が好きだな。ジル・ドゥルーズが凄いってのは分かるけど、衒学的な匂いが鼻につく。市井の人間には時間の無駄という気もしてしまう。ハイデガーの方がずいぶん上だと思うもの。

ああ、言ってみてすっきりした。権威は一度疑ってみるべし。
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朝食(全粒粉パン、キャベツ炒め卵のせ)

例によって淡々と進めます。

 
飽きもせずに夜にパンを仕込みます。今回は砂糖少な目にしてみました。普段粉300gに対して大匙2.5杯のところを1杯弱。ゴマバタースプレッドとイチゴジャムで食べる予定なので、パンの甘さを控えたわけです。バターは多め。バターの塊から削ったとき、何となく多めになってしまったから。しかし「バターの塊」ってなんだかグリム童話みたいな雰囲気だ。

 翌朝。OK。  切って二次発酵です。

 
焼くといい感じ。一口齧ってみると思った以上に甘さ控えめでちょっとビビりました。子供たち大丈夫かな。これまでのパンが甘すぎたってことだな。

あとはキャベツとニンジンをガッと強火+ウスターソースで炒め、真ん中に広場を作って卵を割りいれ、蓋をして蒸し焼きにしたもの。思いつきでテキトーに作ったんですが、案外美味くてよかった。

パンの方もスプレッドやらバターをつけるとちょうどいい感じ。子供も問題なし。考えてみれば市販の食事パンもそんなに甘くないですしね。

以上。
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2009年5月29日金曜日

緑茶はうまい

かなりどうでもいい話。

グラム2K円のお茶が思ったより早く切れたので今度はグラム600円くらいの有機栽培緑茶を買いました。違い?わかりゃしません。まあ高い方がマイルドでしたね。甘みも強かった気がする。でも600円のも旨い。

グラム2K円のお茶を1000円分(=50g)買ってみて、やはりこういうのは最初からいいものを試すべきだな、と思いました。まず安い方で、というやり方は大抵いい結果にならない。グラム2K円(しつこい)と言ったって、1000円分を20日で消費したから一日にすれば50円。朝二杯位のんでついでに300mlほど水筒に詰めて(色は変わりますが味は大して落ちません)、それで一日50円なんですから決して高いとは言えない。

コーヒーよりも体の負担は軽いし、いい感じで緑茶生活を楽しんでいます。

あ、それから静岡で育ったことのある妻によると、緑茶は有機もしくは無農薬栽培がお勧め、とのことでした。驚くほど大量の農薬を散布している脇を通学していたかららしいです。しかもお茶の葉っぱは洗わないんだそうで。

以上、どうでもいい話でした。
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2009年5月28日木曜日

ある日の朝食(厚揚げとキャベツのオイスターソース炒め、八丁味噌とみょうが入り味噌汁)

妻が深夜まで仕事したため朝起きられず、私が朝食を作ることに。

  
左上から時計周りに厚揚げ[油抜きして切って水分飛ばしているもの]、茹でほうれん草、ニンジン、キャベツ、みょうが、油揚げ、卵、調味料。

卵をさっと炒めていったん引き上げます。油を熱して牡蠣風味調味料を炒め、キャベツと厚揚げとニンジンを炒めてオイスターソースを投入。一品完成。

それからほうれん草とみょうがと油揚げの味噌汁八丁味噌入り。出汁をしっかり取りました。八丁味噌、通常の味噌と1:3程度で入れたら美味かった。子供が二人とも汁をお代わりしたから間違いない。(普段は具だけ食べるのだ)

まあこんなもんで。
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小手先のプロジェクトマネジメント

プロジェクトを運営する時は現場と適切な距離を取ることが重要です。

現場に近づけば、メンバーのワークロードやプロジェクトの細かい問題が見えてくるというメリットがある一方、細かい意思決定に拘泥してしまい大局的な判断や優先付けができなくなる、というリスクがあります。現場から離れるた場合はその逆のことが起こります。

メンバーのワークロードや抱えている問題にアンテナを張りつつ、大局的な優先付けができること。つまりカラダは近く、アタマは遠くに。これが理想的な距離です。

感覚を現場に近づけるためにはまず現場に密着することです。メンバーとコミュニケーションを取り、彼らが抱えている問題を理解し、彼らのワークロードと、それぞれの力量を把握する。プロジェクトを進めるに当たっては不可欠の情報です。

情報が多すぎるならフィルタすればいいわけです。フィルタするのはアタマの仕事。メンバーが細かい問題で悩んでいる。そんなことで作業が止まっているのか、とあきれることもある。でも何も入ってこないとどうしようもない。なんか細かいことをぐだぐだやってるな。チッ。と斜に構えるマネージャーには、誰にも相談なんてしません。メンバーの立場にカラダを運んで話を聞いて、カラダでメンバーの話を聞いて、アタマで現場の状況をつかむべきです。

しかしアタマの能力が優れた人=抽象的思考能力に長けた人がプロジェクトマネジメントの経験を積むと、どうしても現場の技術的な問題や判断は軽視しがちになる傾向があります。要するにこういうことだろ。だったらこうすればいいじゃないか。

でも抽象的な因果関係ではプロジェクトは動かない。下っ端メンバーはそれが体で分かっている。うまく行くはずがうまく行かない。思ってもみなかった障害が発生して慌てふためく。

そこにこざかしいマネジメントが入って*事後的に*何だドキュメントを読み込んでなかったのが原因じゃないか。何で前もってドキュメントを読まないんだ。サポートに聞けば分かったことだろう。どうしてあの時確認しなかったんだ。などとを言えば、メンバーのモチベーションは下がって行くばかりです。だからメンバーが細かいカオスの中でどうあがいているのか、マネジメントは知っておくべきなのです。

エンジニアを信頼してゆったり構える。それができるかどうかでそのマネジメントの優劣が決まります。目指す要件(設計)は共有できている。認識もあっている。どうせ細かい技術的なことは分からないんだし、任せてしまおう。信頼した以上、そいつがミスした後の始末をするのがオレの仕事だ。腹を括ること。これがマネジメントの取るべき態度の一つです。事後的に賢しらに説教すれば、メンバーの心はどんどんと離れて行くだけ。

一番マズいのは現場感覚も経験もないマネジメントです。いや、それだけではありません。多少経験を積んだとしてもこざかしい理屈でプロジェクト回そうとするマネジメントも問題だ。

何せシステムを構築する、という感覚が分かっていない、あるいはその感覚を忘れていてアタマにあるのは「ああすればこうなる」のキレイごとばかり。だからプロジェクトがどう回っているのか、定性的に評価できない。こうなってくると頭の良さ=抽象的思考能力の優秀さなどむしろ邪魔なだけです。個々のタスクの重みが分からない。メンバの仕事が正しいのかも分からない。メンバがふと気を緩めている時に何をなすべきか分からない。こんな時に彼らが思いつくのが「見える化」とか「数値化」というダメダメ方法論です。現場を取り仕切るマネジメントがこんなものを信じちゃいけません。この手の方法論は、システムの構築を分かっていないお客さんに「見せる」ためのフィクションに過ぎません。マネジメントはプロジェクトの進捗を定性的に把握した上で、顧客には定量的にその進捗を見せる能力が必要です。でもプロジェクトが分かってないから自分も数値の方を信用してしまう。顧客と一緒に数値が全てだとと思い込んでしまう。WBSが全てだと思ってしまう。

何を言ってる。数値化もしないで、WBSもなしでどうやって管理するんだ。ごもっともな反論ですな。しかし同じことを現場感覚のあるマネジメントが言うのと、こざかしいマネジメントが言うのとでは天と地ほどの違いがある。

すぐれたマネジメントはWBSや数値をプロジェクトを進めるための手段として使うことができる。逆にダメなマネジメントにはそれらが目的となってしまう。

すぐれたマネジメントはWBSを使って顧客に進捗を説明し、重要なタスクに人を割り当て、不要なタスクをリストラします(これが重要かつ困難)。ダメなマネジメントはWBS上の数字のつじつま合わせにしか意識が向かない。

ツールを作ったら作りっぱなし。単に進捗をトラッキングするだけ。遅延が出れば優先度もなにもあったものではない、徹底的にエンジニア締めつけるだけです。優先度を評価して洗い変えることもしません。というかできない。定性的に評価ができないから。タスクを消すなどもってのほか。タスクを減らす?そんなことが説明できるわけがない。むしろ増やした方が安心する。そしてどんどんタスクを作り、エンジニアに投げるだけ。

すぐれたマネジメントは数値を利用してうまく顧客の目を重要な課題に向け、どうでもよいタスクからフォーカスを外します。

ダメなマネジメントは障害の件数をカウントして上から目線でグラフ化するだけ。課題が"1"件あったとして、その"1"が気になってしょうがない。課題の内容などどうでもいい。その"1"件が消えないことだけが引っかかる。そしてそれを消せとやはりプレッシャーをかける。でも自分で消すという判断はできない。

WBSなど各種の管理ツールの裏にある、実体としてのプロジェクトが分かっていないと、まともにプロジェクトの運営ができるはずもありません。管理ツールを作り、それをメンテナンスするだけでプロジェクトを運営していると思い込んで安心する。そんな小手先のプロジェクトが幸せな結末を迎えるはずがありません。

現場を見ること。次に管理ツールを*手段として*有効に使うこと。それがプロジェクトを上手く回すコツだと私は思います。
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2009年5月27日水曜日

子供たちへ

家から駅までの通勤ルート。通学路と重なっている道があって、小学校低学年の子たちをよく見かけます。たぶん私の出勤する時間が高学年が登校する時間よりは少し早いから、低学年の子が多いのでしょう。みな小さくて可愛い。思わずにこにこしながら歩いてしまいます。彼(女)らが小さいだけ、高学年の子たちの大きさが際立ちます。これで小学生か?と思うこともしばしば。

低学年の子たち。何人かで集まって登校しているのが6~7割くらいでしょうか。ひとりで登校している子は少ない。親しい子同士で誘いあって登校しているのでしょう。

確かわが娘も頑張って友達を誘っていた。一時期何となく友達とうまく行かなかったのか、一人で登校していて気を揉んだ時期もありました。子どもたちの付き合いもまた難しいようです。

通勤途中すれ違う小学生の中に、黒人の女の子がいます。肌の色は中途半端なブラウンではなく鮮やかな黒色です。可愛いパステル調の服からすらりと伸びた黒い手足。その子が前から歩いてくると遠くからでも目を引きます。でもじろじろ見るのも失礼だから、何となく目を伏せる。でも目を伏せるのがかえって申し訳ないような気もして、やっぱり何事もなかったように前を向いたり。そんな感じでいつもすれ違っています。

そしてその子がいつも一人で登校してるんです。どうしてかな。やっぱり肌の色が違うから、友達ができにくいのだろうか。すれ違うたびに何となく気になります。お母さんは心配してるだろうな。やっぱり肌の色が違うから友達ができないのかなって。

この間、何気なくその子の顔を見てみました。どんな子だろう。どんな顔をして登校してるんだろう。おずおずと彼女の顔を見る私。なんとなく申し訳ない感じがしました。何が申し訳ないんだろう?

そして初めて見たその子の顔。ハッとしました。目が綺麗だったんです。黒い目がしっかりと前を向いていました。まっすぐに。毅然としたまなざしと表現するにはまだまだ子供っぽい。かすかに悲しみとか辛さが見てとれるような気もします。でも、何か遠くのものを、しっかりと、そしてまっすぐにとらえているような、大きくて黒い、きれいな目でした。

私はその目を見て少し安心しました。うん。大丈夫。きっといい友達ができるよ、と。肌の色なんて関係ない。確かに肌の色のことで嫌な思いをすることもあるだろう。でも嫌なことばかりじゃないと思う。大切な出会いや素晴らしい出来事はきっとある。辛いことはいくらでもあるだろう。おじさんだって辛いことばっかりだよ。でも素敵なことだっていっぱい見つけられるんだよ。その子に話しかけるわけにはいきませんでしたが、そんなことを思いました。
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2009年5月24日日曜日

キンピラとかナゾ料理とか

ズボラ主婦の適当料理」は結構強力ですね。文体が伝染るレベルのブログは珍しい。時折とは言え爆笑させられるセンスもまたスゴい。しかし、読んでて元気になるタイプのブログじゃあないですね。って人のことはまったく言えないけれど。超ユル系というか、なんか頑張ってもどうしようもないよな、ははは。みたいなブログ。アテられてしまったのか昼食のタイミングと内容がアレだったせいか、イマイチ気合が入らない夕食となってしまいました。ちなみに朝食は昨日のカレーの残り。美味かった。昼食はパン屋で買ってきたバゲットに、義理の弟夫妻から頂いたジャムやらスプレッドを塗って食べたもの。バター入りゴマスプレッド美味かった。

  
夕食は豚入りゴボウキンピラと、ナゾ野菜炒め(見切り品50%OFFパプリカと同じく50%OFF赤ピーマンとキャベツの八丁味噌炒め(隠し味がウスターソース))。結構ビミョウ。大人的にはまあこんなのもたまにはアリじゃない?レベルですが、子供的には臭い。まずい。食べたくないとのこと。決して私は寛大じゃないけど、まあ許すよ。あとは冷奴とスライスタマネギ。子供は冷奴(ちうか木綿豆腐にしょうゆかけただけのもの)を美味い美味いと食べてました。一番美味かったってさ。今日はかなり気合が入らなかったからしょうがないか。まあ昨日の疲れを取ったと思えば。さっさと寝ちまおう。

以上。
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