2009年10月15日木曜日

ちょっと古いですが花王エコナ騒動について

発がん性物質が相対的に多く含まれていることが発覚したとのことでしたね。

以前このブログで、海外で問題視されているトランス脂肪酸が多く含まれるくせに「健康」エコナとはいかがなものか、と投稿しました。

http://akagi-essay.blogspot.com/2009/01/blog-post_07.html

今回の事象は私にとってはトランス脂肪酸の件と同様に思えます。正確には問題となった物質は異なるようですが、それがどんな物質だろうが事象の構造は変わらない。要するに、ある食品が、恣意的なデータを元に健康に役立つ、と売り込まれたあげく、後になって実は体によくないということが発覚した。それだけのことです。科学者はそんな乱暴な、というかもしれませんが、よくない物質が何であるかは私にとっては枝葉末節のこと。

話はズレますが、細かい言葉の定義や事象の正確さにこだわり過ぎるあまり、本質が見失われることがあります。逆もまたしかり。でも、専門家がまことしやかに「こんなことすら理解されてないだから、あの議論をしてる連中の誰も本当の問題が分かっちゃいない」などと言い出したらまゆにつばをつけたほうがいいです。

閑話休題。まあ、この手の食べ物の危険性に関する議論というのは、えてして宗教的な色合いを帯びるもので、極論や原理主義に陥りやすいので注意が必要です。私もやたらとトランス脂肪酸の害悪を喧伝するものではないし、そんなレベルでこだわってたら何も食えないじゃん、という発想も理解します。トランス脂肪酸というファクターは、ほとんど人の好き好きのレベルだという認識です。ただ、事実として発がん性を疑い、規制している国はある。だから、私はなるべく(絶対ではない)忌避している。日本人は油脂の摂取量が少ないから比較的安全だ、という異論も認める。

また話がズレました。

詰まるところエコナ騒動の本質とは何か。私の見るところ、2つのポイントがあります。

まず一つめ。データというものは、いかようにでも作れるし、またいかようにでも解釈できるということ。エコナが体にいいというデータは、体にいいものを作らなければならない、体にいいという結果出さなければならない、そんなプレッシャーを受けた開発者がウソをつくことなく(ここが重要)、真面目に作れてしまいます。つまり、そもそも体にいいというデータが怪しいものだったということだし、別のファクター(発がん性を疑われる物質)があらわれたとたんに簡単にひっくり返るような、その程度のものだった、ということです。データなどあてにならないのです。特に企業が金を出したデータは。

二つめ。安く、品質が一定していることが売りの化学処理された製品のリスクが次第に明らかになって来た、ということ。食品に関していえば、マーガリン、ショートニング、あるいはいわゆる化学調味料、保存料などの食品添加物。そして石鹸、シャンプー、衣服用の洗剤などの化学製品。あえて買わない消費者が増えたり、マスコミも控えめながらネガティブな情報を流し始めたような気がします。

化学処理を行うことで、一定の品質の商品を安価に、大量に供給できるという発想。そしてそのような化学処理された製品を、巧みなマーケティングによって、いかにも自然に優しい、体に優しい、エコである、などと売り込む方法。便宜的に花王的方法と呼びましょうか(P&G的でもヤマザキ製パン的でも何でもいいんですけどね)。私はもはやそのようなやり方が時代錯誤に思えてなりません。

いうなればマーケティング主導の失敗例。環境への負荷や、人体への影響をじっくり見極めることなく、近視眼的なデータだけで早急に商品化してしまう。

大体、自然やら人体やらへの影響を考えれば、ずうっと昔から使われている天然由来のものが体と自然にいいに決まってる。これまで自然界に存在しなかったような物質を作って、体になすりこんだり、自然に垂れ流したりして、それがいいだとか悪いだとか、簡単に言えるはずがありません。

それを押して売り込んでしまう短絡的なビジネスは、今後ゆっくりと廃れて行くのではないか、そんな気がします。だって長期的に見なければ、自然や体に副作用がないとは言えないから。エコナがいい例です。化学処理された物質には必然的に潜在的リスクが含まれている。そのリスクを何とかしないと、本当に安全な化学物質は作れないのではないか。そして、花王やらP&Gやらヤマザキ製パンが、そのリスクに立ち向かおうとしているように見えるだろうか。

もちろん成功した化学技術もあるわけで、全てを否定するわけではありませんが、短期的な売上を意識するあまり、半分ウソくさいマーケティングにかまけてるような企業には、生活やら環境を左右されたくはありませんよね。

養老孟司「養老訓」新潮社

★★★★☆☆:養老さんは面白い

まっとうなことばかり書いてあります。全くおっしゃる通りと同意するばかり。平易な文章ですが、書いてあることは結構深い。簡単に要約できるような本ではありません。

ひとつ個人的にヒットしたこと。最近の人間は規則さえ作ればなんとかなると思ってないか。規則なんか作ったところで、必ずこぼれるものが出てくる。それを何とかしようとすれば、さらに下らない規則が出来るばかり。コストがかかるばかり。規則でしばるより、いっそのこと人間を信用したほうがいいんじゃないか。

最近のセキュリティがらみの規則にうんざりしている私としては、もうその通りですよ、と激しく同意するばかりです。しかし残念ながら時代は養老氏の警告とは逆の方向に向かっています。規則やルールでがんじがらめの、息苦しい社会へ。

どうしてこんなことになってしまったのか。養老氏によれば、日本社会共同体とでもいうべきコミュニティが崩れてきているからだ、とのこと。長い付き合いを前提としたコミュニティであれば、そうそう悪いことはできない。悪いことをする奴がいると、それは共同体の迷惑だから、仕方がないので皆で文句を言った。でも、最近は共同体が無くなり歯止めが効かなくなってしまった。一人だけ儲けて逃げるとか、勝ち組とか、そういう感覚も最近のものである。共同体の中で長期的に生活するという感覚があれば、一人だけやたら金儲けをしようという発想も出にくい。共同体の消滅と共に短期的かつ利己的な発想をする人間が増えてきた。

多少強引な気もしますが、だいたいのところは受け入れられる話です。地域共同体というものが崩壊した結果、短期的な利害が社会、会社、人間関係に入り込んでしまっている。その結果ひとの迷惑や長期的な利益を考えない短絡的な行動がはびこるようになる。しかたがないから規則を作って利己的な行為を禁止するしかない。いや、利己的な行為だけならまだいい。ルールが制定されると、そのルール自体が目的となってしまう。少しでも抵触する行為は禁止。ルールは細分化され、どんどん厳しく、そしてバカバカしくなるばかり。もちろん罰則は厳格に適用。例外は認められない。息苦しい世の中です。自由主義の行き着く先は厳しい規制であったか。

養老孟司氏の分析に私が付け加えることがあるとすれば、規則大好き人間の存在をでしょうか。ルールや規則が大好きなヒトが多いんじゃないか。そしてそのようなヒトに限ってやたら声がでかいというか、規則を盾に声高に叫ぶヒトがいる、そんな印象があります。

何でまた規則なんてやっかいなものが好きか。思うに何も考えずに従っておけば安心だ、そんな幻想がありそうです。規則に従えば何とかなるだろう。その場その場の微妙な意思決定も不要だ。だって規則に従えばいいんだからな。もし上手くいかなかったとしたら、規則に従わなかった奴のせいにしてしまえばいい。とにかく規則にさえ従っていれば、リスクはない。おまけに規則を制定、運用する立場になればこれほど楽しいことはない。なぜなら、それはほとんど権力そのものだから。

ここで私は意地悪くこんな定義を思いつきます。ルールとはなにか。小心者の権力欲。あるいは小心者の思考停止である、と。

もちろん、規則の適切な運用が奏功して良い結果をもたらすことだってあるでしょう。でも私は、基本的に規則とは責任回避と思考停止のツールであると考えます。

思うに、規則とは単なるベストプラクティス以上のものであってはならない。規則を盾に誰かが声高に人を糾弾したり、爪はじきにするようなものではない。規則は人のためにあるのであって、人を押しつぶすためにあるのではない。センチメンタルな理想論かもしれませんけどね。

規則を立てれば楽になる。でも、そこには思考停止というワナがある。つまり、杓子定規な判断に逃げてしまうというワナ、それから規則を盾に人を糾弾してしまう、というワナがある。そのことに気をつけないと、規則は単に生産性を低めるだけだと思います。

それから中心にあるのは規則ではなく、あくまで人間なんだ、ということです。人間より、本来の目的より規則が優先されてしまうのは本末転倒です。足かせをつければ生産性が下がるばかり。確かに古き良き共同体は消滅したかもしれない。でも、人間への信頼を失ってはどうしようもないと思いませんか。また、周りに短期的利益を追及するような行為ばかりが目立つとしても、必ずしもあなたまでそのように振舞う必要もありません。もう少し人間を信頼したらどうか。人を信頼できる社会を作ったらどうか。人を信頼してバカをみた人がいたとしても、温かく見守ったらどうか。社会からはそんな余裕すら失われてしまっている気がしてなりません。

ちろん、振り込め詐欺にやたら引っかかるわけにもいきませんけどね。なんだかイヤな世の中になったなあ。

2009年10月12日月曜日

ハッカク断念、なすの煮物、サンマのハーブ焼き

引き続き料理リハビリです。うん。元気になってくる気がする。微妙に。

スーパーに行ったら珍しく小ぶりのハッカクが3匹299円也でして、これはさすがに惹かれると思って魚コーナーのおじさんにこれどうやって食べますか?と聞いたらう~ん・・・・・塩焼きだね。硬いからね。との深い回答。家で捌くのは難しいですか?と聞くと、苦笑しながら首を横に振るおじさん。そうかムリか。もう少し大きければ刺身が美味いんだけどねえ。これ捌いたら残らないよ。あー。うん。そうだね。ものスゴく納得してしまった。そうか。残念。というわけで予定通り生サンマを三匹買って帰りました。

そんなことよりまずはナスですよ。軽く油で炒めて、しょうゆとみりんと砂糖と酒を投入。それからだし汁を入れて厚揚げと水菜を入れて煮ます。以上。

完成でございます。

ちょっとだけよ~ん。と塩とハーブをまぶされたサンマが申しております。

250度で12分と余熱少々。レモン汁をかけるとサイコー。マジで。サンマは塩焼き!大根おろし!異論は許さん!!!と熱くなるお父さんも、これは納得するかもよ。サンマのハーブ焼きにレモン汁。美味いって。しかも後片付けも簡単だしな。

久しぶりのパンつくり、薄型テレビ到着

久しぶりにパン作りにチャレンジです。レシピと段取りは忘れてませんでしたね。うん。強力粉300g、砂糖大さじ2杯強、塩少々(有塩バターで代用するため)、ドライイースト小さじ一杯。牛乳と水、合わせて200ml。しっかり捏ねて一次発酵。

子供が暇をもてあましていたため、成型を任せます。もうヒヤヒヤ。乱暴だし雑だし。途中から見てられなくなって私はインターネッツを放浪してました。まあやたらと口を出さないのも親の仕事じゃ。

無体な感じで完成。

二次発酵中に薄型テレビが到着しましたよ。比較的小さいサイズです。古いテレビを回収してもらったりの全部コミコミで13万チョイくらいかな。倍速液晶でHDレコーダー付き。まあまあですかね。結構キレイでご満悦。子供たち大喜び。


で、パンは美味しく頂きました。雑に作っても案外問題ないもんです。以上。

料理のリハビリ)カレー

久しぶりに料理をこしらえました。病気から回復しても、しばらくの間は料理にほとんど興味が持てなかったのです。食欲はあったのですが、自分で作ろうという気には全然なれませんでした。なぜだろう。料理どころじゃねえや、そんな感覚だった気がします。自分好みの美味い料理を作るという行為は、やはり過剰なエネルギーがなけれぱ成り立たない活動なのでしょう。そういえば、グルメ雑誌にも興味がわきませんでした。美食どうでもいいというか、体にいいシンプルなものを適量食べて、クスリ飲んで寝なきゃみたいな感覚ですね。熱いうどん(ほうれん草と卵入り)、リンゴ、バナナ、あっさり和食。以上。風邪から回復しても、しばらくはそんな感じでした。

やはり、まずことさらに何かを食べたいと志向し、実際に作る準備をして、段取り組んで、料理するってのは大変なことであるな、と改めて思います。それから、美食志向や好物を作るというのは、本来生きる上では必須ではないことも分かります。要するにビタミンとか炭水化物とかが取れればよい。別にやたらと手を掛ける必要もないし、珍しい食事だって必要ない。

ま、そうはいってもやはり自分で料理するのは楽しい。せっかくの趣味であるので、リハビリも兼ねて今日はカレーを作ってみました。

時間は掛かるけれど、ほとんど手の掛からない簡単ウマーレシピです。

手羽とニンジン、塩、香辛料を投入します。このままアクを取りながら1時間以上弱火で煮込みます。

グツグツ。

一時間後。すっかりやわらかくなったニンジンを、ペティナイフでざくざく切ります。それから思いつきでピーマンとトマトを細かく刻んだのを投入。風味と酸味とコクを追加。

んでS&Bゴールデンカレーと同じくS&Bのとろけるカレーを投入。はい。完成。

いや、実はルーを投入する以前の段階で、それだけで美味いスープになってるんですね。あとはカレー粉とその他香辛料と塩で調味し、小麦粉でとろみをつければ本格カレーの完成なんですよ。そこを敢えて市販のルー。まあ、もったいないといえばもったいない。例えるならパラパラチャーハンにスープをかけて食べるみたいな。まあでも子供もいるし、楽な方に流れた私でした。

それから付け合せにインゲンと卵のサラダ。まだ本調子ではありませんが、まあこんなもんで。

007「カジノロワイヤル」見てしまった

疲れました。確かに面白かったんですけどね。派手なアクション。格闘シーン。裏切りに次ぐ裏切り。息もつかせぬすストーリー展開。壮大な無駄。過剰と疲労のエンターテイメント。言い過ぎか。

いや、面白かったんですよ。それは確か。何なら別の007シリーズを見てもいい。そんな気になりました。そのくらい面白かった。

実は最初の20分でお腹いっぱいになって、布団に入りって眠ろうとしたのですが、目が冴えて眠れなかったのです。で、もう一度見始めたのが運の尽き。サルのように最後まで見てしまいました。ああ面白かった。でもむしろ早く寝るべきだった。

昔の007ってもう少し遊びが入ってた記憶があるんですけどね。オヤジの悪ふざけというか。マンネリというか。例えるならLEON。ちょい悪スパイオヤジのモテモテストーリー。何かわくわくするスパイギミック付き。でも、この映画は余裕がなかったなあ。ボンドもずいぶん痛々しい拷問受けてたし。うーん。寝る前に見る映画は慎重に選ばなくてはいけませんね。目終わったのが12時過ぎ。しばらく目が冴えて眠れませんでした。やれやれ。

2009年10月11日日曜日

一万円の電気シェーバー

シェーバーが壊れたので新しいのを買いました。ポイントが溜まっていたので、奮発して特売で一万円のものを購入。シェーバー。一般的にとても高いのは三万円台、安いのはニ、三千円なので、一万円というのは中の下あたりの価格帯だと思います。でも、たかが髭剃り。一万円というのは感覚的には高い。だってただの剃刀なら高くても数千円ですからね。電気で動くからといって一万円は高いでしょう。

壊れたシェーバーも確か三千円程度だったと思います。やはり出してもその程度。たかが髭剃り。

でも買っちゃったんだもんね。ポイント使って。ちょっと迷ったけど。一万円の髭剃り。うれしいな。

早速家で使ってみたんですけど、当然のごとくいいんですよ。なんというか、軽い。そして深い。痛くない。三千円のシェーバーにはなかった感覚です。安物だと何度剃っても剃り残し感があったんですが、一万円のだと二、三回往復しただけでわりときれいに仕上がります。こりゃいいや。

どんな具合か。ホテルで出てくるような、使い捨ての安っぽい剃刀がありますね。二枚刃とかの。あれでお湯と石鹸使ってきっちり剃ったより、若干甘いくらいの仕上がりかな。そういう表現だと大したことないようですけど、実際にはかなりありがたいレベルの剃り具合です。だって石鹸もお湯も使う必要ありませんから。肌も痛くないし。これは圧倒的に楽です。

いやあ買ってよかった。一万円の髭剃り。こういう贅沢(?)もありってことで。