以前このブログで、海外で問題視されているトランス脂肪酸が多く含まれるくせに「健康」エコナとはいかがなものか、と投稿しました。
http://akagi-essay.blogspot.com/2009/01/blog-post_07.html
今回の事象は私にとってはトランス脂肪酸の件と同様に思えます。正確には問題となった物質は異なるようですが、それがどんな物質だろうが事象の構造は変わらない。要するに、ある食品が、恣意的なデータを元に健康に役立つ、と売り込まれたあげく、後になって実は体によくないということが発覚した。それだけのことです。科学者はそんな乱暴な、というかもしれませんが、よくない物質が何であるかは私にとっては枝葉末節のこと。
話はズレますが、細かい言葉の定義や事象の正確さにこだわり過ぎるあまり、本質が見失われることがあります。逆もまたしかり。でも、専門家がまことしやかに「こんなことすら理解されてないだから、あの議論をしてる連中の誰も本当の問題が分かっちゃいない」などと言い出したらまゆにつばをつけたほうがいいです。
閑話休題。まあ、この手の食べ物の危険性に関する議論というのは、えてして宗教的な色合いを帯びるもので、極論や原理主義に陥りやすいので注意が必要です。私もやたらとトランス脂肪酸の害悪を喧伝するものではないし、そんなレベルでこだわってたら何も食えないじゃん、という発想も理解します。トランス脂肪酸というファクターは、ほとんど人の好き好きのレベルだという認識です。ただ、事実として発がん性を疑い、規制している国はある。だから、私はなるべく(絶対ではない)忌避している。日本人は油脂の摂取量が少ないから比較的安全だ、という異論も認める。
また話がズレました。
詰まるところエコナ騒動の本質とは何か。私の見るところ、2つのポイントがあります。
まず一つめ。データというものは、いかようにでも作れるし、またいかようにでも解釈できるということ。エコナが体にいいというデータは、体にいいものを作らなければならない、体にいいという結果出さなければならない、そんなプレッシャーを受けた開発者がウソをつくことなく(ここが重要)、真面目に作れてしまいます。つまり、そもそも体にいいというデータが怪しいものだったということだし、別のファクター(発がん性を疑われる物質)があらわれたとたんに簡単にひっくり返るような、その程度のものだった、ということです。データなどあてにならないのです。特に企業が金を出したデータは。
二つめ。安く、品質が一定していることが売りの化学処理された製品のリスクが次第に明らかになって来た、ということ。食品に関していえば、マーガリン、ショートニング、あるいはいわゆる化学調味料、保存料などの食品添加物。そして石鹸、シャンプー、衣服用の洗剤などの化学製品。あえて買わない消費者が増えたり、マスコミも控えめながらネガティブな情報を流し始めたような気がします。
化学処理を行うことで、一定の品質の商品を安価に、大量に供給できるという発想。そしてそのような化学処理された製品を、巧みなマーケティングによって、いかにも自然に優しい、体に優しい、エコである、などと売り込む方法。便宜的に花王的方法と呼びましょうか(P&G的でもヤマザキ製パン的でも何でもいいんですけどね)。私はもはやそのようなやり方が時代錯誤に思えてなりません。
いうなればマーケティング主導の失敗例。環境への負荷や、人体への影響をじっくり見極めることなく、近視眼的なデータだけで早急に商品化してしまう。
大体、自然やら人体やらへの影響を考えれば、ずうっと昔から使われている天然由来のものが体と自然にいいに決まってる。これまで自然界に存在しなかったような物質を作って、体になすりこんだり、自然に垂れ流したりして、それがいいだとか悪いだとか、簡単に言えるはずがありません。
それを押して売り込んでしまう短絡的なビジネスは、今後ゆっくりと廃れて行くのではないか、そんな気がします。だって長期的に見なければ、自然や体に副作用がないとは言えないから。エコナがいい例です。化学処理された物質には必然的に潜在的リスクが含まれている。そのリスクを何とかしないと、本当に安全な化学物質は作れないのではないか。そして、花王やらP&Gやらヤマザキ製パンが、そのリスクに立ち向かおうとしているように見えるだろうか。
もちろん成功した化学技術もあるわけで、全てを否定するわけではありませんが、短期的な売上を意識するあまり、半分ウソくさいマーケティングにかまけてるような企業には、生活やら環境を左右されたくはありませんよね。