2009年1月24日土曜日

食パン(リベンジ)、ドンゴのフライ、ひよこ豆のコロッケ(ファラフェル)

疲れているので流します。

私「最強力粉っての見かけたら買っといて。あるいは食パン用。」
妻「そんなの見たことないよ」
私「だよねー」

(数日後)

妻「あったよ」
私「へー」



というわけで「スーパーキング」。水曜日のこと。バターが(比較的)安いと知人に紹介されたという製菓製パン材料専門店で、妻が仕入れてきました。

金曜の夜。仕事を終えて帰宅。一杯やってから、どっこいしょ、と製パン作業に入ります。なるべく正確に計量してさんざん捏ねて45分一次発酵してタネにパンチ食らわして(そういうもんなのだそうです)さらに20分ほど発酵させました。(生地がまとまらなくて困った。最強力粉だからか?50gくらい粉を追加して何とかこねましたがちょっと不安。)

いびつなロール

それから例によって冷蔵二次発酵。生協の発泡スチロールに生地を入れて就寝。隣は冷凍の粉砕ひよこ豆です。明日粉砕ひよこ豆のコロッケを作るつもりです。生地の仕込が雑なのは例によって酔っ払って作ってるから。細かいこと(?)はどーでもよくなる。

で翌日。いい感じで発酵してます。うむ。



前回皮が硬すぎた原因を分析した結果では「焼いた時間が長すぎたんだろ」という結論が出ていました。レシピでは正しい「食パン型」で焼いているのに、私はパウンド型。にも関わらず同じ時間+温度で焼いたのでした。なので今回は少し短めに焼いてみました。

焼き上がりの皮の色も少し薄め。よし。今だ。オーブンから取り出してまずはパンの表面をたたいてみるとやはり皮がカチカチ。アチャー。がっかり。でも放置していたらだんだん皮が柔らかくなってきました。中の湿気で蒸らされたからか。味もシンプルで深みがあって、大成功と言ってもいい仕上がり。非常に地味なんだけど、食べ飽きないというか噛むほどに滋味が広がるパン。美味かったです。

一通り食べた後の写真

昼間、いろいろ所要を済ませました。疲れた。

夜。ひよこ豆のコロッケとドンコのフライ。ドンコですよ。スーパーで見かけて、どうにもこうにも買わずにはいられりょか、という風体(と価格)でした。

どーん。

見た目が大事。

うろこを落として



三枚に下ろして



フライに。美味かったです。ホウボウの上品さ、ほっこりふわふわ感はないけど、そこらの惣菜屋で食べる白身魚のフライの数段上等なやつ、って感じでした。

しかし、揚げ物は大量の油を使った方がいいですね。できるだけ良い油を使いたい。でももったいないから少量の良い油でフライにしちゃえ→×!!!。安いイマイチ油でもいいから大量に使おう→○。奮発して高い油を大量につかってやれ→○。

少量だと油の温度が下がるので、じわじわ少しずつしか作れないんです。しかも大きなサイズのものはアウト。フライ調理はもう腹を決めてがっつり油使ってやりましょう!!!一月に一度程度しかフライを作らない人(かつ油の質にセンシティブな人)は、泣きながら使用済みの大量の油を捨てましょう!!!

これもまた一通り食べられた後の写真。

ひよこ豆のコロッケも美味かった(カレー粉少々とにんにく・たまねぎをオリーブオイルで炒めたもの混入してます)。通常のコロッケのような「はい。炭水化物です。そして油です。芋です。ところどころひき肉です。およそ人類なら美味いと感じるに違いないです」という明確な主張はありませんでしたが、たんぱく質と繊維質がやや前面に出たアンフレンドリーな感じのコロッケ。すなわち、ツンデレコロッケベジタリアンver。中濃ソースと食べるとこれはこれでアリ。ヘルシーで美味い感じでしたよ。

食後の余り

以上です。(今週はやや仕事が急がしくて疲れたんだよねー。はぁ)
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2009年1月19日月曜日

「甘えの構造」を読んだ

「甘えの構造」(土居健郎)を読みました。

以前から少し気にはなっていたのですが、ちょっと古いかなーと思って何となく読む気がしなかったところ、図書館のリサイクルコーナーでゲット。よし、と思ったもののはやり読む気しないなーと半年以上積読(つんどく)状態でした。そこに先日「ボリビア日記」を唐突に読了したこともあって、何か読むものないかなーと思って書棚を漁っていたとき「甘えの構造」発見。よし。今だ。

で、3日ほどで一気に読了しました(私の読書は主に通勤中に行われるので、長~中篇の本に三日間かけても「一気に」という表現になります)。

【総評】

(プラス)

「甘え」という非常に豊かな概念を(厳密さは欠けるものの)可能性とふくらみを持つ言葉として見事に分析している。示唆に富む分析です。発展性と普遍性があり、いろいろ考えさせられる。

養老孟司木村敏への影響が感じられる。

(マイナス)

本書の背景として「戦後」を思わせる事柄が多く、時代を感じます。

例えば「欧米コンプレクス」「学生運動に参加する若者の分析」「何かにつけ欧米の文化や思想と日本を対比させる二元論」など。

それから欧米感も少し古い感じ。自我の確立とか西洋の「自由」概念とか。

結論として「『父』が不在である」とか「子供化する社会」というのはなんというか(当時は新しかったのかもしれませんが)今になって見るとありがちでいまいちな感じがしました。

(その他)

「甘え」というのは本当に便利な概念だと実感しました。その便利さゆえに慎重になる必要はあるにせよ。

技術の分からない上司が、技術に詳しい部下に接するときの態度。全幅の信頼。深夜の電話。まさに「甘え」の状況がそこにある。そしてそうやって上司に「甘え」られることに「甘える」部下がいる。(甘えられない部下は不幸なことに鬱病になるでしょう)

「甘え」の対象と非対象、それすなわち「ウチ」と「ソト」。少し組織が大きくなると、その内部にウチとソト意識が生まれ、セクショナリズムが生まれる。それもまた「甘え」。しかもネガティブな意味で。この「ウチ」と「ソト」(=味方と敵)の考えは女性に顕著(断言するのに微妙に罪悪感ありつつも経験上幾度も実感している・・・)ですが、男性も例外ではない。

あるいは吉本隆明の言うところの「育ち」の問題。「育ち」というのはすなわち「ちゃんと甘えられたかどうか」ではないか、と。「甘えられなかった」ということは、自分が「十分に愛する人から受け入れられている」ということを実感できなかったことに他ならないかもしれません。

確かに「愛」と「甘え」は違うかもしれない。でも愛されていた小さな子供であれば、十分に甘えさせて貰えることができたんじゃないか。十分なスキンシップを得られなかった=甘えさせてもらえなかった=愛されなかった、そう刷り込まれた子供は、目に見えぬ傷を負うことになる。

あるいは「2ch」で時折見られる弱者へのバッシング。「甘えんな!」というスローガンは、本当は甘えたいんだけど甘えられない、そんな人の怨恨に過ぎない。

カリスマを作り出し、支持するマスコミと大衆。裏には「甘える」対象を生み出したい欲望があるんじゃないだろうか。

「甘え」。深いです。
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パン焼メモ(発酵は難しい)

パン焼のメモです。

前回発酵がイマイチな感じがしたので、ちょっと思い切って室温の高いところで二次発酵してみました。

before after
afterその二

結構意外でした。過発酵による失敗を覚悟していたのです。

今回タネを置いた場所はキッチンでした。冷蔵庫もあり風通しも悪く、夜でも室温10度は下るまい、という場所です。こんなところに6時間。ヤバイかなー。過発酵しそうだなー。と思っていたらいい感じでした。どうしてかな。確かに捏ね上げた後、生地がヒヤッとしていた気がする。それで発酵がイマイチ進まなかった=6時間で適正だったのか。生地の温度が低かったのは酒を飲みながら捏ねたせいかな。(酒を飲む→体温が下がる→生地の温度が下がる)。う~ん。そんな気もするし、違うかなーという気もする。・・・わからん。

こういう風に予想を裏切られると、また感覚の焼き直しが必要になってしまいます。だからといって春先に普通に外に出しておくと間違いなく過発酵な予感。でもやってみなければ分からない。

う~ん。パン作りは奥が深い。

朝食に頂いた残り

味はよかったです。ゆえに成功。

和風鳥ハムは蒸しポテト・ニンジンと酢+塩+一番絞り菜種油+マヨネーズで和えてポテサラにしました。これも美味かった。前に「がめ煮の鶏肉」と言いましたが根菜の風味は移ってないので、洋風の料理にもバッチリでした。



以上。
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