2010年4月22日木曜日

梅原猛訳・注「歎異抄」講談社学術文庫

★★★★★☆:梅原さんの注が邪魔

歎異抄です。短い文の一つ一つにグッときます。梅原さんの注がなければ満点を付けますね。彼のおかげで親鸞が矮小に見えてしまった。

角田房子「責任 ラバウルの将軍 今村均」筑摩書房

★★★★★★:こんな将軍もいた

非常に感動して読みました。傑作です。しかし感想は複雑。これほど自らの信念に真摯に生きた将軍がいたのか、と。歎異抄と新約聖書を愛読した将軍。恐らく彼を理解した人は少なかったのではないか。孤独だったのではなかろうかと思われたり。

それから角田房子さんのスタンスも少し気になりました。徹底的な反戦の立場。客観性よりも人間の本性に迫ろうとする(と私には感じられた)スタンス。敢えて誤解を恐れずいえば、足に地のついた、女性らしいアプローチだと思いました。それはそれで構わないし、貴重だし、評価すべきなのですが、組織に生きる男の悲しさと葛藤が描かれなかったように見えて残念。「今村もやはり陸軍将軍の枠を出ることはなかった」旨のことがサラッと書いてあって、いや、組織に生きるってのはそんなに簡単に割り切れるものじゃないんですよ。とひとりごちたり。大体、あのご時世でジャワに対してリベラルな政策を押し通したり、ラバウルで食料の確保を最優先にしたということは、自分の信念に従ってやったことに違いないわけで、組織に完全に飲み込まれた人ではなかったことは明らかだし。

まあ、それにしても優れた本です。私はこの本で初めてラバウルの意味を知った。恥ずかしい限り。

2010年4月20日火曜日

大佛次郎「終戦日記」文春文庫~ノグソに関する考察

★★☆☆☆☆:資料としての価値

昭和19年9月から20年10月にかけての日記です。淡々と生活の様子が書かれていて、往時が忍ばれます。何だか美味いもの食べて酒ばかり呑んでいるようにも見えるのだけれど、物量は今よりよほど少なかったはずだから、そう見えるだけだと思う。ああいうご時世だからこそ、何を食べた、呑んだ、幾らだったということに関心が向くのでしょう。

まあ、地味な本です。

ひとつ気になったのがノグソ。野糞の方のノグソです。って他にないか。

たびたび腹を壊してノグソをした旨の記述がある。なんとなく読み過ごしてしまいますが、考えてみると不思議。功なり名を遂げた壮年過ぎの男性が、ノグソして、それを日記に残しているわけですから。

それを読んだアタクシは、ふと今の世はノグソもままならない世の中なわけだな、と思ったわけです。と言っても、私がかつてノグソという行為を日常的に堪能していたわけではありません。ノグソをめぐる状況。ノグソが可能な環境というものが、もはやなくなったのだなあ、と。なんというか人が多過ぎるし、草木の茂みというものも存在しない。東京に於いては、ノグソは事実上あり得ないものとなってしまった。

そんなん、別にかまへんやないか。まあ、そういえばそうなのですが、ノグソもできる環境、それはすなわちなんとなく人目につかないエリアがあって、そこに潜むこともできる環境なわけで、そういうエリアが周囲にあってもいいなあ、とそんなことを考えるわけです。治安上はよろしくないかもしれませんが、普段は近寄らなければいいわけで。誰かがウンコしてるかもしれないしね。

切羽詰まった時なんかはありがたいんじゃないかしらん。ちょっとそこでクソしてくる。そんな気楽な感じがあってもよいのでは。って何書いてんだろうな。オレ。ダメになってるのかも。

2010年4月19日月曜日

秦郁彦「南京事件」中公新書

★★★★★☆:客観的・中立的。良書です

南京事件があまりにも政治的に利用されているため、すでにして食傷気味だったのですが、最近「大日本帝国興亡史」を読んでいる関係で気になって読んでみました。

結果。良書でした。読んでで納得がいく。学者の良心と心意気が感じられました。

南京事件は、やはりかつての日本の問題としてちゃんと目を向けなければいかんなあ、と思いつつ、その政治的な利用のされ方には注意しなければいかんな、と。

日本人がなぜあんな行為に走ったのか。中国と日本の右派のプロパガンダはひとまず脇において、正視し、真摯に反省するにたる重大な出来事であったと思います。

ジョン・トーランド著 毎日新聞社訳「大日本帝国興亡史 全5巻」ハヤカワ文庫

★★★★★★:客観的中立的に書かれた第二次世界大戦史。必読。こんな優れた本がなぜ絶版?

3巻まで読了。愚かな日本人と愚かなアメリカ人の物語。日本もアメリカも望んでいなかった戦争がなぜ始まったか。

イギリス、フランスの植民地政策、白人優位主義、そして黄禍論が日本を追い込んだ。

戦えば負けることは日本には分かっていた。あくまで交渉で解決しようとしたが、日本の稚拙な外交と、ハル国務長官の無闇な猜疑心と不信感、そして日本語から英語への、英語から日本語への誤った翻訳が戦争の原因となる。筆者は「日本とアメリカという二人の子供が始めた戦争」と評する。

回避できた筈の戦争が、日本にどれほど悲惨な結果をもたらしたか。

われわれは敗戦国としての歴史を叩き込まれてきた。そのためか、日本が戦争を始めた理由はちゃんと教えられていないように思う。でも戦争の背景はしっかり教えるべき。過去を正当化するするためではなく、二度と戦争を起こさないために。