2010年4月20日火曜日

大佛次郎「終戦日記」文春文庫~ノグソに関する考察

★★☆☆☆☆:資料としての価値

昭和19年9月から20年10月にかけての日記です。淡々と生活の様子が書かれていて、往時が忍ばれます。何だか美味いもの食べて酒ばかり呑んでいるようにも見えるのだけれど、物量は今よりよほど少なかったはずだから、そう見えるだけだと思う。ああいうご時世だからこそ、何を食べた、呑んだ、幾らだったということに関心が向くのでしょう。

まあ、地味な本です。

ひとつ気になったのがノグソ。野糞の方のノグソです。って他にないか。

たびたび腹を壊してノグソをした旨の記述がある。なんとなく読み過ごしてしまいますが、考えてみると不思議。功なり名を遂げた壮年過ぎの男性が、ノグソして、それを日記に残しているわけですから。

それを読んだアタクシは、ふと今の世はノグソもままならない世の中なわけだな、と思ったわけです。と言っても、私がかつてノグソという行為を日常的に堪能していたわけではありません。ノグソをめぐる状況。ノグソが可能な環境というものが、もはやなくなったのだなあ、と。なんというか人が多過ぎるし、草木の茂みというものも存在しない。東京に於いては、ノグソは事実上あり得ないものとなってしまった。

そんなん、別にかまへんやないか。まあ、そういえばそうなのですが、ノグソもできる環境、それはすなわちなんとなく人目につかないエリアがあって、そこに潜むこともできる環境なわけで、そういうエリアが周囲にあってもいいなあ、とそんなことを考えるわけです。治安上はよろしくないかもしれませんが、普段は近寄らなければいいわけで。誰かがウンコしてるかもしれないしね。

切羽詰まった時なんかはありがたいんじゃないかしらん。ちょっとそこでクソしてくる。そんな気楽な感じがあってもよいのでは。って何書いてんだろうな。オレ。ダメになってるのかも。

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