2009年6月26日金曜日

物理学って不思議だ

何で数式で客観的世界の振る舞いを記述できるんでしょうね。不思議だ。物理理論って?数式って何だ?

アインシュタインは神を信じていました。e=mc2でしたっけ。こんな綺麗で簡潔な法則が成立するのならば、そして人間にそれが理解できるとすれば、誰かがあらかじめその物理法則で宇宙を作ったに違いない。そしてその法則が理解できるような認識構造を人間にプログラミングしておいたに違いない。

別にe=mc2に限った話でもありません。モノが落ちるスピードや放物線、月や地球の軌跡だって数学と力の理論で説明できてしまう。何でだろう。

私含む神さまはあまり信じられない人向けの一つの仮説。進化の過程で脳がとにかく現象を数字とロジックで記述できるようになってしまった。それほどまでに進化ってのは凄いことなんだ、と。コンピュータが2進数で情報を処理できてしまうように、人間が持っている論理機能を使えば結構自然を記述できてしまう。全ては偶然のたまもの。世の中奇跡だらけ。まあ偶然も奇跡も人間のシーニュ=差異としての価値評価に過ぎませんけどね。

実に不思議。

ええと、何で物理学に思いを馳せたかというと、ソシュールショックのせいです。差異しか存在しない。概念に対応するような実体は存在しない。人間はカオス的な外界に差異の体系をあてはめて「ああすればこうなる」式のフレームワークでカオスを改変している。つまりカオスとの相互作用によって人間は世界を作り出している。

なるほど。と思います。しかし、常識的態度からは受け入れがたい話です。言葉や概念があって、それに対応する実体がある。当たり前じゃないか。椅子は椅子だ。その上に私は座っている。椅子の構造も分かっている。使いなれた椅子。それを椅子の実体と呼ばずして何と呼ぶ。

相対性理論だって量子力学だって、とにかくつじつまは合っている(らしい)。実験や観察によってその理論を確認できるらしい。そんなものは幻想かもしれない。たまたまかもしれない。あるいは実はあたりまえのつまらないことなのかもしれない。でもそこに誰かにとっての価値があれば、それでいいじゃないか。

ソシュールの理論を突き詰めると、あらゆる価値が相対化されてしまう。そこからニヒリズムに向かわないようにしたいものです。科学にしても、宗教にしても、原理主義じゃなければそれでいいような気がします。愚かな信仰があり、墓穴を掘る行為がある。でも、それが人間でしょう。科学技術だって上手く使えばいい方向に持って行けるんじゃないか。たとえば太陽光発電とか。

うーん。難しい。
.

0 件のコメント: