2009年12月16日水曜日

ミヒャエル・エンデ「モモ」岩波書店読んだ

「はてしない物語」の余勢をかって「モモ」も読みました。いいですねえ。実に。感動しました。そればかりでなく自分の生き方について反省させられました。私にとって時間とは何だろう。私の時間泥棒はどこに潜んでいるのだろう。

時間泥棒=灰色の男たちは、言葉巧みにわれわれから時間を奪い取ります。時間を取られた人は、目先の欲望に駆り立てられ、本当に大事な充実した豊かな時間を失います。失われた時間とは世界に一つしかない美しい花なのです。われわれの心の奥に育まれる、一輪の花。それがわれわれ一人一人のかけがえのない時間です。灰色の男たちは、その花をこっそり奪い、乾燥させて葉巻を作り、それを吸うことで生きるのです。うーん。しびれる。なんという美しいイメージ。

時間泥棒とは他ならない、われわれ自身です。われわれは、同僚の、上司の、部下の、そして子供の時間を奪って生きているからです。

時間ほど貴重なリソースはない。ドラッカーも言いました。でも、この言葉はいつだって忘れられているように見えます。なぜか。それはわれわれが時間の大切さを本当には分かっていないからではないでしょうか。何だと。時間が大切なことくらい言われなくても十分わかっている。タイムイズマネーだ。そうでしょうか。あなたは仕事や金のために人と自分の時間を浪費していないと、断言できますか。厳しい非生産的な残業を強いる上司。ムダな仕事ばかりを思いつくマネージャー。あるいはいつまでも、誰よりも残業する上司。若い奴らはなっとらん。不甲斐ない。そんな上司に嫌々ながら、あるいは嬉嬉として従う部下。そんな立場になったことはありませんか。だとすればあなたもまた、時間泥棒であり、かつその被害者の一人なのです。

そして時間を奪われても平気で何も感じない人がいます。もはや時間を搾取されることに麻痺してしまったのでしょう。哀れな話です。

どうしてこのようなことになってしまったのか。

時間を切り売りするとは、みずからを切り売りすることに他なりません。そして、それが当たり前になっているのが今の時代です。時間は、われわれが考えるよりもずっと大事なものなのです。単に時間を削り売りするだけでは、確実にそれだけ自分が磨り減っていく。残念ながら比喩ではありません。恐らくは売春にも等しい行為なのです。

では、どうするのか。まさにそれがわれわれ一人一人に問われているのだと思います。

私の場合は、時間を切り売りするだけではなく、できるだけそこから何かを学ぼうとします。そして理不尽な時間泥棒からは一目散に逃げること。すきま時間を、しっかり利用すること。具体的には本は執務中も手放さず、空いた時間に読むようにしています。これが時間泥棒に対する私のささやかな抵抗です。他にも明らかな無駄な作業には反対すること。それから趣味でもなんでもいい、ゆったりと時間を使う方法を知っておくこと。

仕事に全時間を投入して後悔しない人もいるでしょう。家族に捧げる時間が一番大事だと思う人だっていると思います。そこは人それぞれ。どれが正しいとかは言えません。

機会があったら、自分には時間の貴重さが本当にわかっているのだろうか、分かっているとして、それに相応しいやり方で時間を過ごしているだろうかと一度考えてみてもよいかもしれません。

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