2009年10月9日金曜日

鷲田清一「待つということ」角川選書

★★★★☆☆:珍しい哲学者

久しぶりにいい本を読みました。

待つということ。ええと。ビジネスで言えば、待つ人=無能な人なんですよね。人事を尽くして天命を待つ、なんて状況はほとんどない。何かしらやることはある。ある案件で本当にやることがなくなったとしたら、別の案件で動けばいい。何もすることがなくなったら、英語の勉強をすればいい。とにかくただ待つということはあり得ない。それがビジネス。自己投資。なんと慌しいことよ。

しかし、ふとビジネスの外に出てみると、待つことの重さがあらわになります。子供が高熱を出して唸っている。病院に行って診断も受けた。クスリも貰った。後は子供の治る力を信じて待つほかはない。

あるいは母あるいは父が子を待つというシチュエーション。巣立って行った我が子の帰省を、待つともなしに待つ両親。

逆に子が母を待つということもあるでしょう。捨てられた子は、いつまで母を待ち続けるのでしょうか。

あるいは自らの病が癒えるのをただひたすら待つ、ということもあるかもしれない。

待つ他はない。そこにあるのは人の無力さです。なにも積極的な手を打てない。だから、待つしかない。本当に来るかどうかもわからない。いい知らせか悪い知らせなのか。それも実際に来てみるまでわからない。

そう考えると、待つという心の働きは、依然として人間のあり方に深く食い込むものであることに間違いない。人の力は限られているからです。

社会に出て仕事をする限り、待つという行為にはほとんど意味はありません。上司に「何でもいいから仕事しろ」と叱責されるだけです。

しかしながら人生の豊かさというのは、いかに待つか。何を待つか。待たされたとき、どういう態度を取るのか。そして何より自らの死をいかに待つのか。そこにかかっているような気がします。

この本自体は正直いってとりとめがないというかまとまりがないというか、どうみても体系的に書かれたようなものではありません。でもそれが欠陥になっていない。記述の対象が微妙にぶれながらも、核心を外堀から埋めるように、待つという心の機微が、深く分析されています。むしろ詩的な作品と理解したほうがいいかもしれましん。良書だと思います。

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