2008年8月14日木曜日

数値化の罠(プロジェクトの人間学)

【この「プロジェクトの人間学」投稿シリーズは、昔私が出版社に持ち込んだ原稿からコピーしたものです。某出版社でページ数を増やすことを条件に書籍化の話を頂いたのですが、いろいろあって何となく立ち消えになってしまいました。しばらく音沙汰もないので、少しずつ投稿して行こうと思います。】

進捗状況やトラブルが数値化されないプロジェクトはほとんど考えられない。しかし数値化には実にさまざまな危険がある。

-過度の抽象化
本日の交通事故死者1名。これで何が分かるか。数値化は究極の抽象化である。数字以外のすべてが削ぎおとされる。

-測定対象を誤る危険
数値化には必ず測定方法が先立つ。何をどのように測定するか。測定できる、というのは測定する理由にはならない。これを「データの罠」と呼ぶ。数えるべきでないものを数えてしまう。数えた結果を分析し、報告書にまとめなくてはならなくなる。無用なデータに不釣合いな体力が掛けられることになる。

プロジェクトを論じた本に「メールの数を計測してコミュニケーションがうまくいっているかどうかの指標にしたらよい」という記載を見て仰天したことがある。単なるお礼メールがあり、連絡メールがある。無駄な作業とコミュニケーションを引き起こすメールがある。あるいは一本で仕事をクローズする優れたメールもある。日に1000通メールが飛び交ったからといってそこから何も導けやしない。単に混乱しているだけかもしれないではないか。

-数値化の観点
数値化するためには観点もまた必要である。切り口によって見えるものが違ってくる。何を目的として数えるのか。目的のない数値化はプロジェクトにおいては単なるオーバーヘッドである。

-数値にとらわれてしまう
数値には曖昧さがない。そして足算と引算は誰がやっても同じ結果が返る。昨日までの累計が100だった。本日10追加された。故に本日は110となる。当然そうならなければならない。ところがそうはならないことがある。勘違いがあった。あるいは本来であれば数に入れるべきものでない項目が含まれていた。数を取り出すには抽象化が必要であり、抽象化には解釈の入る余地がある。しかしマネジメント層にはこれが気に入らない。数字の不整合を許容することは意識にとっては非常に難しい。するとどうなるか。現実の方を数字に合わせ始めるのである。整合性のない数字が隠蔽やウソを引き起こす。

優秀な人間は数字に強いリアリティを感じる傾向がある。また数字に強いということは、会社で出世するための重要な能力の一つである。優秀な人間や出世した人間がプロジェクトを管理することが多い。従ってこの数値化偏重傾向は潜在的にプロジェクトに存在していると思ってよい。数字の使い方を誤ると、現実の方を数字に合わせること、具体的には数字の見せ方や出し方に大きな体力がかけられることになる。

カントは正しい。プロジェクトそれ自体は決して認識できない。認識できるのは単なる現象である。そして数字は現象に投げ入れる概念の一つに過ぎない。今風にいえばただのクオリアである。その数字にプロジェクトが踊らされている。プロジェクトの目的は何か。この問いは常に価値がある。果たして数字合わせと化したマネジメントに何が貢献できるのだろうか。

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