2009年4月21日火曜日

一個人として語らない人たち

人の話や判断を聞いて「?」と思うことがよくあります。その人がどう考えているのか。その人がある人に対して、どうしたいのか。何を与え、何を期待するのか。それが見えない。つまり「会社としては」とか「世間的に」とかいう枕詞をつけないと語れない人たちです。

そんな人から「わが社としては、昨今の事情を踏まえてこのように行きたいと考えます」という感じで言われることがたまにあるわけですが、それに対して「会社の意向は分かりました。ではあなたはどう考えるんですか?」と聞いてみると反応は通りに分かれるように思います。「個人的には」とすらすら語る人と、口ごもってしまう人です

以上より、

■「個人的には」と語れる人は、自分の意見を持っている人

■口ごもる人は、自分の意見を持たない人

と結論付けてしまうのはほとんど思考停止なので、もう少し立ち入って考えてみます。


【会社と個人の関係】

会社の見解に対する個人の見解には、大きく言って以下の9パターンの関係があるでしょう。そして下記のように分類したとき、個人的な意見を言いやすい状況と、言いにくい状況があることが分かります。

(1) 会社としての見解がポジティブ かつ 個人的にはネガティブ
→ 個人的には「そんなことやりたくないよ」「いやだな」と思っているので、個人の意見が言いにくい。

(2) 会社としての見解がポジティブ かつ 個人的には無関心
→ どうでもよいので個人の見解が言いにくい

(3) 会社としての見解がポジティブ かつ 個人的にもポジティブ
→ 自分としての意見を堂々と語れる

(4) 会社としての見解がネガティブ かつ 個人的にもネガティブ
→ 個人的にも同感なのだがネガティブな自分の意見は言いにくい

(5) 会社としての見解がネガティブ かつ 個人的には無関心
→ どうでもよいので個人の見解が言いにくい

(6) 会社としての見解がネガティブ かつ 個人的にはポジティブ
→ 個人的にはポジティブなんですが・・・という形で自分の意見を言いやすい

(7) 会社としての見解が無関心 かつ 個人的にはネガティブ
→ ネガティブな自分の意見は言いにくい

(8) 会社としての見解が無関心 かつ 個人的にも無関心
→ どうでもよいので個人の見解が言いにくい(どうでもいいです、とは言いにくい)

(9) 会社としての見解が無関心 かつ 個人的にはポジティブ
→ 個人的にはポジティブなんですが・・・という形で自分の意見を言いやすい

整理すると

自分の意見をはっきり言えるパターン → (3)、(6)
歯切れが悪くなるパターン → それ以外

ということで、必ずしも自分の意見があれば言える、というものではありません。

【「会社の見解」なるもの】

もうひとつ、会社の見解単体で「?」というものはよくあります。判断の真意や基準がよく分からない場合です。表には見えない会社の都合(「売上/利益」といった数字重視あるいは「会社共同体の保身」)が背景となっていることが多いように思います。別にマスコミ向けの公式見解に限りません。

また「会社として」という枕詞の裏にその人のルサンチマンやネガティブな感情が隠れていることもよくあることです。利己的な判断が「会社として」という枕詞とともに出てくるケースもある。

【まとめ】

そもそも会社に属する一個人というのは、完全に会社と自分を同一視できる奇特な人を除いては、アンビバレンツな状況に違いありません。

一概に「会社として」「個人として」切り分けることはできませんし、上司や顧客などとの具体的な関係もあり、割り切れるものではありません。

そのような状況において、「会社」という抽象的存在に容易に同一化し、居心地よく身を預けることのできる人と、自分で考え、自分で行動することに重きを置く人との間に、違和感が生じるのは無理のないことだと思います。

と無難かつ曖昧に収束させたところでホンネ。

組織や仲間のウチに属すると日本人は強い。個人で考えて行動する人にとっては、生きにくい世の中です。私としては、一個人として語る人がもっと増えることによって、もう少し風遠しのよい社会が広がることを願っています。
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