2009年4月23日木曜日

節酒の抑止力となるのは

前にちょっと体がしんどくなって節酒を試みたことがありました。

今の状況はと言えば・・・微妙。昔ほどガバガバ飲んではいませんが、間違いなく3合以上は飲んでますな。

やはりモチベーション維持が難しい。節酒をすると確かに目に見えていいことはあるのですが(体調がよくなる、小遣いがあまり減らない)、それ以上に「呑みたい」欲望が強すぎます。体調ごときが。ケッ(あざけり)くらいの勢いで呑むわけすね。

酒を呑んで酔っぱらうという行為は自分の意識を弱め、最終的には意識を失わせる行為に他ならないわけで、そういう意味では自らの死の周りで遊ぶようなものだと思います。つまり、飲酒には死への欲望(タナトス)が隠れている、というのが私の説です(マジで)。とすれば健康不安もそして死すらも飲酒への欲望を押しとどめるものではありません。

とすれば、節酒するために何が必要かと言えば、死よりも怖いものが必要ということになります。死よりも怖いものがあるか。

ここで話は突然下世話なハナシになります。

中島らもがどこかで昼夜酒を飲んでると腹が始終緩くなると書いていました。要するに早い話がしばしばウンコがもれそうになって困る、ということです。

実は私も例外ではありません。通勤電車に乗っていてそんな目にあうともう本当に地獄です。あともう少しで・・・ということがしばしばある。ギリギリの状態で駅についてもまだ気は抜けない。トイレに長い行列ができていたり、あと一歩のところでもう誰も個室から出てこない、ということがよくあります。もう冷や汗ダラダラ、心臓バクバクで死にそう。これは本当に死ぬよりもツラい状況なのです。

それから、一線を越えてしまうともう大変であろうことは容易に想像できるわけで。空にまで突き刺さるほどの薫り高い存在になって、その後は考えるだに恐ろしい状況となるはず(タクシーなんてつかまえられないだろうし、徒歩で帰れないし・・・ああ怖い。もうやめた)。ということで、何のために節酒をするかと言えば、やはり通勤中に大変なことにならないためですよ。この抑止力はスゴイ。よく分からない投稿ですが以上。
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