2009年8月27日木曜日

なぜホリエモン崇拝者がいるのか

世の中にはホリエモンのファンがいるらしいのですが、どうも私にはホリエモンを崇拝する理由がさっぱり理解できませんでした。若い人が「ホリエモンを尊敬する」と主張するならまだ理解できる。でもファンとはどういうことなのか。

ファンが理解できなくて、尊敬なら理解できるのか。同じようなものじゃないのか。

いや、微妙に違います。まず尊敬というのは客観的事実を素直に認めた上での評価という側面がある。なんだかんだいってホリエモンは大した奴だね。あの若さであれだけのことをしたんだから。そういう面では尊敬するよ。とかね。ビジネスへの希望に燃える若い人が、ホリエモンの(ある時期までの)成功に敬意を持ち、そこから学ぼうとするのも十分理解できる。

しかし、ファンだとか崇拝ってのはねえ。どうも解せない。是々非々で分析するのではなく、とにかく偉い!と絶賛してしまう。ホリエモンってどう見てもそんな対象たり得ない。私に言わせれば。

おいおいちょっと待てよ。そもそもホリエモン崇拝者なんて聞いたことないぜ?

あ、そうですね。私もしょっちゅう聞くわけではありません。たぶん一般的な話ではないと思います。実はIT関連のニュースとかブログでは、ホリエモンが妙な存在感持ってたり、やたらとホリエモンの言葉を有り難がってる雰囲気があります。その辺りを乱暴に「ホリエモン崇拝者」と称しています。もちろん具体的なファンクラブとかホリエモン信者集団ってのがあるわけじゃ(たぶん)ない。

でもそれって要するにあなた(アカギ)のルサンチマンが入ってない?嫉妬というかさ。

うーん。微妙ですね。確かにうまくやったなあ。うらやましいと少しは思わないでもない。でも私が興味を持ったのはホリエモン個人ではなく、ホリエモンを無条件に祭り上げる人の存在。そっちの方です。

続けます。

繰り返しになりますが、ホリエモンを尊敬するという主張には違和感ありません。確かに彼は結果を出した。時流に乗って、自ら意志決定し、ライブドアという会社を作り上げた。大したものだと思います。

でもだからといって、どうして彼がカリスマたり得るのか。

最初思ったのは、疲弊した無思考が、強力なリーダーシップを求めてるんじゃないか。ちょうど小泉支持者のように。だからホリエモンの人気があるんじゃないか。

でもなんだか違う気もする。それだけでは人気には結びつかないな。

あるいは年寄り連中に搾取される若者達のルサンチマンがそこにあるんじゃないか。馬車馬のように働かされてるけど給料は安い。上の連中はオレたちより仕事しているのか。給料の配分は正しいのか。オレたち搾取されてるんじゃないの?そういう疑問を持ったとき、ホリエモンの生き方は魅力的に見える。

その流れで、ホリエモンの力で何かを変えることができるんじゃないか。そういう期待を(勝手に)膨らませることができるかもしれません。年寄りへのアンチテーゼとして(勝手に)立てられた偶像としてのホリエモン。

実力でのし上がった若きカリスマ。若者を搾取しながら旧態依然とした構造と利権の上にあぐらをかく年寄りをあざ笑うかのごとく、すばやい決断で億単位の金を動かす。じたばたとあがく年寄りをしり目に大儲け。社会を変える改革者。次世代のヒーロー。

やーれやれ。

ホリエモンを無条件に崇拝している人がいるとすれば、そんなイメージでホリエモンを見ているのかもしれません。

ホリエモン自身の発言を素直に聞けば、彼の人となりは分かるっす。余計なイメージとかバイアス抜きで人を見るのって、そんなに難しいことですかね。
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