2010年1月26日火曜日

なんかむつかしい本読んだ

その筋では有名な先生の本ですが、何が言いたいかさっぱりわかりませんでした。何を読んだかは書きません。

いわゆる立派な大学の先生が書く本が立派かといえは、そんなことはないわけですが、何を言いたいのかさっぱりわからない本を書く先生が、なぜだか大御所というか、権威だったりするのはよくあることです。不思議なもんです。

その手の本には明らかに特徴があって、引用と一般論に毛の生えたレベルの議論が8,9割を占めています。Aはこう言った。一方Bこう。またCはこう言っている。Aの意見はナントカカントカの視点が欠けているといわざるえまい。何だ。言いたいことはそれだけかい。

それはいわば思想の採集標本です。きちんと整理されている。知性も統一性も感じられる。でも、全ては静止している。王様がまとっているのは死んだコトバだ。子供なら素直に言うのかもしれません。でも大人になってしまうと、しがらみもあるし、人のことをどうこう言うのもアレだし、ということで、まあ黙ってればいいや、となってしまいますね。

それとも私がバカだけだろうか。その可能性は全く捨てきれない。実はもっと奥深い思想が隠れているのかもしれない。それとも王様は実は裸なのかもしれない。

「純粋理性批判」を読めば、あるいは「デカルト的省察」を読めばわれわれは超越論的主観性を生きることができます。その言葉をありありと、生き生きと把握することができる。しかし一旦ある種の批評に扱われてしまうともうダメです。単なる論理の操作対象となる。空虚な記号と化してしまう。対象より上に立とうとした時点で批評はダメになってるんじゃないか。そんな気がしてなりません。

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