2010年2月23日火曜日

藤代泰三「キリスト教史」日本YMCA同盟出版部

★★★★☆☆:西欧を理解するためには必要な情報

なぜキリスト教が世界宗教たり得たのか。うーん。わからない。逆にニーチェとフォイエルバッハがなぜ執拗にキリスト教を批判するのか。それが理解できました。非合理な教義、瑣末な議論、血なまぐさい宗教戦争と異端迫害の歴史。人間にとって宗教とは何なのだろう。超越的な人格神をどうして信じてしまうのか。人間とは本来非合理なものなのだ、としか思えません。無神論風神仏混合原始仏教シンパ無節操宗派の私には、キリスト教史は相当異様に写りました。

もちろん、宗教に積極的な意味があることは間違いありません。神の下に人は平等だという思想とか慈善とか。信仰によって心やすく暮らせる人も多いでしょう。自分と愛する人の死に意味を与えることもできる。宗教が感動的なアウトプットを生み出すこと、また宗教から積極的な意義を引き出す人がいることは認めます。

しかしクリスチャンの多い欧米で、人種差別がいまだに幅を利かすこの現実。格差もひどい。プロテスタンティズムと資本主義での勤労は親和性が高い。しかし、その資本主義が人を押しつぶしている。ならば宗教のメリットすら、怪しいのではないか。そんな気がしてなりません。

神がいなければ善い行いをする意味がなくなる。つまり、善行はたとえ現世で報われなくても天国(来世)で報われ、悪行は地獄で罰せられる、などとは言えなくなる。現世の利益だけが生きる目的となり、真実や善が省みられなくなる。だから神は必要なのだ、という議論があります。しかし、今現に宗教はそのように機能しているのでしょうか。敬虔なクリスチャンが、数千人を無慈悲にリストラしているのではないでしょうか。貧しい若者たちを戦場に送り込んではいないでしょうか。宗教がなくなれば、その歯止めすらなくなるとでもいうのでしょうか。

うーん。難しい。

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