2010年6月17日木曜日

子供はさずかりものか

「子供はさずかりものだから」という言葉を聞くわけです。

「そうですねえ」などと適当を打ちながら、でも信じないわけです。

だって、そろそろ子供でも作るか、と思って作るわけです。

あんまり年いって作ると後がしんどいからなあ、なんて思って。子供が20歳になった時、60近かったらどうか。そりゃマズい気がする。そんなノリで「作るか」と思うわけです。

で、意図的に作るような行為を繰り返しているとそのうち出来るわけです。

となると「さずかった」気なんかしないわけですよ。意図的に作った。おれが育てた。

そう思ってました。

でも、子供が生まれてから8年たって分かってきた。

これ、オレが作ったんじゃねえよ。こんなの作った覚えはない。

だって、動いて、考えて、泣いて、笑って、生きてる。こんなの作れるわけがない。作ったんじゃないよ。

作ろうと思って作れない人もいる。でも、ありがたいことにうちには作れた。

いや、作れたんじゃない。やっぱり「さずかった」んだ。そうとしか言えない。「さずかった」が気に入らない?誰から授かったかが分からない。神か?仏か?そんなの信じられない。だったら「さずかった」なんて言えない。

じゃあどう言えばいいか。「来てくれた」。それが近いかも。じゃあどこから来た?どこ?それも分からない。

夫婦に子供を作る力が備わっていたから子供ができた。でも、どうして子供を作る力を持ってるの?

・・・

とにかく分からない。そういうこと。

分からないならそれは不可思議です。思いの及ばない。考えることができない。不可思議。生命が生まれた。それは奇跡であって、もう考えの及ばない世界である。理由なんか分からない。

なぜだか知らないけれど、子供を作る機能を持っていた。なぜかはわからない。それは人類が存続するためだろう。そうかもしれない。でもオレが頼んだわけじゃない。どうして人類が繁栄する必要があるのか。ひょっとして地球が存続するために、人間を必要としているのかもしれない。生態系の一部として生きてほしいから、あなたに生まれて欲しいのかもしれない。そんなことは分からない。

子供が生まれた理由?精子と卵子が結合したからだろ?夫婦に子供が生まれて、そんなの当たり前じゃないか。どこが不思議だ。そうやって人類は増えてきたんだ。

じゃあ、あんたは精子と卵子が結合した結果か?そうじゃないでしょ。ご両親に聞いてごらん。オレって精子と卵子が結合したから生まれたんだよね?って聞いてごらん。

そんな単純な話だろうか。

誰でもよかった。たまたま、あなたが生まれた。そうだろうか。取り換えのきく存在。それがあなた。それが子供。それが人間。

そうだろうか。

だったら、隣の子と自分の子が交換できるか?

精子と卵子が結合した結果として、人生がある。だったら、誰の人生も「同じ」だ。だったら交換可能か?そうじゃないでしょう。

かけがえがないんだ。取り換えられない存在なんだ。あなたも、私も、子供も。

生まれた途端、その子はかけがえのない、取り返しのつかない存在になるんだ。

だから、大事にしなければいけないんだ。

だから、授かりものなんだ。

そんな風に思ってきたわけです。年とってくるとね。


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