2010年12月23日木曜日

西田哲学めも

ただ「否定」と提示されると、論理的には単に肯定の反転であるわけです。

しかし、現実的には

否定=嫌い

ってのが近い。否定ってのは意志の力だ。全力でするものだ。机上の論理じゃない。頭でこねくり回したコトバじゃない。心から嫌いと思う、それが否定。

そうでしょ?

最初に戻る。

A=Aってのが肯定だ。

A=非Aは否定。

論理的にはそうなる。

そして、

「A=AかつA=非A」とは、論理的には矛盾となる。

さて、否定は憎しみ。否定は嫌い。また、肯定は是認であり、肯定は好意である。

その常識的な、情動的な理解を、論理に持ち込んでみる。つまり、肯定とは「好き」であり、否定とは「嫌い」である。これを論理の世界に持ち込む。

かつ、ここで、西田哲学の、絶対矛盾的自己同一を考えてみる。

しかるに、

絶対矛盾的自己同一とは、絶対に否定しつつ、絶対に肯定する、ということである。

ということは、

絶対に嫌いだけど、絶対に好きだ、それが絶対矛盾的自己同一ってことになるじゃないか。

なんだか凄く良よく分かる気がしてしまうなあ。

要するに西田哲学ってのはダイナミックなんですよ。固定してない。取り澄ましてない。うごめいている。全力で、生きている。

12/24後記
と酔っ払って書いたようですが、まあ、当たらずとも遠からずってとこですかね。

エロスとタナトスとの矛盾とか、愛と憎しみの矛盾とか、そういうモメントは西田哲学に含まれるとは思うのですけどね。

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