2011年4月3日日曜日

二つの大震災を経験して

阪神大震災の時、学生だった私は京都で下宿していました。

当時早朝バイトをしていたので、地震発生の瞬間は起きていました。パイプベッドに寄りかかってボケーッとテレビを見ていた時、「ガン!」という大きな音とともにミシリ!とアパート全体が大きく揺れたことを覚えています。でも、余震はほとんどなし。一回、ドカンと来ただけでした。

外に出たら大家さんがアパートを点検していました。「大丈夫だった?」「はい。凄い揺れでしたね」

バイトから戻ってテレビを点けると、そこに映されていたのは神戸の惨状。止まるところを知らない死亡者の数。テレビを見ながら、これは大変なことになった、と唖然としました。友人や、友人の友人から、兄弟が大怪我をしたとか、冷蔵庫が吹っ飛んで来たとか、窓を開けたら高速道路が倒れていたとか、そんな話を聞きました。

しかし、東日本大震災と比べて、阪神大震災の方が精神的ショックは明らかに小さかった。

その理由はいろいろありそうです。

今回の方が被害が大きい。高層ビルでの数分間にわたる揺れ+余震は、阪神大震災の揺れの恐怖を大幅にしのいだ。原発が制御不能になった。

でも、阪神大震災と東日本大震災とで一番違うのは、わたしが年を取ったということに尽きると思います。

昔は失うものがなかった。ことに実家が遠かった下宿生としては。でも、今は家族がいて、マンションがあってローンがある。津波に押し流された街や、子を失った親、親を失った子を見聞するのは相当な苦痛である。

昔は「オレが死んでいたかもしれない。オレが今生きているのは、たまたまなのだ」という事実を容易に受け入れられた。今は「子供を残したまま死ぬわけにはいかない」と思ってる。

昔は働かなくても少なくとも飢えることはなかった。今は子供を食べさせる必要がある。

昔は一人で生きていた。今は、いろんなものを支えながら、支えられながら、生きている。

昔は「チキショー。ナメんなよ」と悪態をつきながら生きていた。今はまわりの顔色を見ながら、生きている。

振り返ってみて、どっちが正しいとも言えないんじゃないか。そんな風に思いました。

若い頃は張り詰めた気持ちで、ギリギリのところで生きていた。

今、その気持ちを取り戻したって別にいいじゃないか、と。

人生、守りだけじゃつまらない。

希望は残った。

希望は、消そうとしなければ、消えないんだ。

やるべきことはまだまだある。

まだまだ!

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