2012年6月10日日曜日

アルコール摂取再開。

窓を開けると雨。ひどくならないうちに洗濯ものを引っ込めねば。(既に乾いていたものは退避済み)。

娘の友達の姉が、都内トップクラスの進学校で学年トップクラスの成績を取っていて、このまま行くと東大は固いと言われているという噂を聞いて。

「あの子は勉強ができる」と言った時、それは明らかに「学校のテストでいい点が取れる」ということを意味しているよね。

その学校のテストってのは、明らかに大学の入試を意識して作成されてるよね。

つまり、言ってしまえば東大・京大・早稲田・慶応に入るために勉強してるってことになるよね。

ウチも子供たちに「勉強しろ」とは言ってるけれど「学校のテストでいい点を取れ」と言ってる意識はない。

むしろ、大事なのは学習のプロセスであり、学んで感動したり、視野を広げたりすることだと思ってるんですな。数学において学ぶべきこと。それは抽象化して数値化して演算して結論を引き出す訓練であり(これ、社会でオジサン相手にすると役に立つんだ)、理科、社会においてはこの世の成り立ちを自然科学的・社会学的に学ぶ訓練であったり。

テストでいい点を取るのは、おまけみたいなもの。

しかし、世間でまずダイレクトに評価されるのは、やはりテストの点であり(数値化されてるからね)、その結果として付いてくる学歴だったりするのね。

でも、それってある意味上辺のことなんだよね。

もちろん学歴は役に立つよ。東大(京大早慶)卒で、はきはき感じよく喋れる学生は就職に困らないであろう。

でも、言ってみればそれだけのこと。

そこからが勝負なんだね。

東大(京大早慶)という学歴は、確かに最初のリードは取れる。

そこからどうするかが問題。

「いや、ウチは最初のリードに全力を掛けます」って親御さんの気持ちはよく分るけれど、ちょっと子供が可哀そうかなって。

わたしとしては、「ピンポイントでリソース投入して学歴を取りに行った結果の学歴」ではなく「ナニゲに勉強した結果の学歴」の方がいいんじゃないかと思うんですな。

後者の方が、明らかに豊かな子供時代を送ってるに違いない。そこが重要ではないか。(豊かな子供時代を送れるかどうか、親が制御するのは難しいけどね)
でもまあ、ウチも子供に勉強はさせるけどね。今も「算数やらないと、大人になって面白い仕事は出来ないぞ!」と洗脳中。

天下国家を考えた時にも、適度な学歴偏重ならいいけれど、行き過ぎはマズイよね、とか思う。

あ。そろそろ晩御飯の仕上げに入らねば。

以上。

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