2008年8月28日木曜日

コントロールできるものとコントロールできないもの(プロジェクトの人間学)

【この「プロジェクトの人間学」投稿シリーズは(後略) 初回投稿:はじめに(プロジェクトの人間学)

ちょっと長いがモンテーニュから引用する。
自分に選択の自由のないものについて、これは自分にとって善いとか悪いとか考えるとすれば、こんなに悪いことが身にふりかかったとか、こんなに善いことが失敗したとかいって、君は神々にたいして呟かずにはいないだろう。また他人がこの失敗や災難の責任者であるといって、またその嫌疑があるといって、人間を憎まずにはいないであろう。まったくこのようなことを重大視することによって我々は実に多くの不正を犯してしまうのである。しかるにもし我々が自分の自由になることのみを善いとか悪いとか判断するならば、神に罪を被せる理由もなく、人間にたいして敵の立場を取る理由ももはや残されていないのである

話はそれるが昨今のマスコミは人々の憎しみを煽ってばかりいるような気がする。われらが業界で発生するシステム障害叩き。公務員叩き。政治家叩き。相手の立場に対する理解が欠けていないか。単純な憎しみの二元論を展開するだけでは世の中が窮屈になるばかりである。モンテーニュは非常に優れた常識人である。マスコミにも世の中を変える他の方法があるのではないか。記事を売るにしても他の売り方があるのではないか。

閑話休題。

プロジェクトでも起こる事象を二つのものに区別することが可能である。すなわち自分がコントロールできるものとコントロールできないもの。この2つを区別することで2つの大きなメリットがある。一つは精神衛生上のもの。もう一つは効率である。

前者は要するに諦めがつく、ということである。頑張ったってどうしようもない。何もしてあげられることがない。カンボジアに地雷が埋まっていて毎年子供たちが犠牲になっている。見捨ててもいいのか!例え効率が悪くともできることはやるべきだ!ちょっとまて。いま筆者はプロジェクトの話をしているのだ。そこまで悲壮になることはない。プロジェクト運営が悪くで人が死ぬこともあるがそれはむしろ割り切るべきタスクを割り切らなかった、つまりプロジェクトのリストラに失敗したからである。また冒頭の引用にもある通り、諦めてしまえば他人の失敗を恨んだり、許せないと思うことも無くなる。すなわちトラブルに対処するのに無用なマイナス感情が無くなる。
後者については自分でコントロールできないタスクを割り切り、より有効な作業にリソースを割り当てることができる。たとえば他人が自分に関する悪口を言いふらしていたとして、それをいちいち訂正して周るよりも、なすべきこと正しいことを粛々と実行し、適宜正当な主張をすればよい。つまり自分のできる範囲のことを精一杯すればよい。自分で勝手に作業スコープを広げる必要はない。できる範囲でベストを尽くすのだ(ただし若い時は限界に挑戦してみること!)。

簡単に諦めがつかない状況もある。例えばマネジメント層や顧客の誤った意思決定。現場からはコントロールが難しい。ほとんど不可能と言ってもよい。マネジメントへ直訴するのが精一杯である。言いくるめられるのが関の山だが。

その場合でも意思決定後に自分のコントロール可能な範囲でタスクを切り直せばよい。マネジメント層の決定は抽象的である。現場が身動きも取れないほど具体的にタスクが定義されてしまうことはほとんどない。そこから何とか身を守って、具体的にタスクを定義しなおすのだ。やはり自分でコントロールできる範囲を明確にし、そこに注力するのが何事につけても効率がよい。

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