2009年9月25日金曜日

iPodを買って変わったこと

まず本を読まなくなりましたね。iPodに費やす時間が相対的に増えたわけですから、当たり前といえば当たり前。しかしiPodで情報収集にいそしんでいると、どうも軽い情報や浅い情報ばかり集まるようになってしまいます。うん。これはよろしくない気がする。

紙媒体だからネットの情報より深くて有益かといえば必ずしもそうじゃありませんけどね。昨今のベストセラーのほとんどは、極一部の例外を除いて読む価値なしと思ってます。やはり古典です。30年以上生き残っている本を定期的に読まないと、Webから得られる情報だけでは胸焼けしてしまいそう。

ネットには存在しない、あるいは存在しても不十分なコンテンツは多い。もう少しいうと、ネットで盛り上がってはいるものの、優れた紙コンテンツを二、三冊読めば十分という場合もある(ビジネスニュースにある自己啓発系記事をたくさん読むより、ドラッカーを二、三冊読みこんだ方が結局早いとかね)。ネットの情報は、大抵表面的で、ほんの入り口に過ぎないことが多いですね。もちろん、とても良い入り口や、浅いけどぎょっとするような情報もあり、役に立つことも多いですが。というか、良い情報がなきゃ見ませんがね。

後ウェブの傾向として人文科学系の情報が手薄だ、ということがあります。理系エリアの細か〜いレベルでの論客はたまにいますけど。経済となると怪しいし(別格:山形浩生)、哲学文学宗教エリアだとかなりヤバい印象があります。というか近付きたくない、みたいな。

えーと、だんだんお前はどーなんだというツッコミが聞こえて来そうなのでいい加減にします。

何が言いたいかというと、本を通して得られる情報ってのは、ウェブで得られものとは違うべきだ、ということが言いたかった。

本にはどのような情報が載っているべきか。それは読む人の情報処理能力と精度を高めるような、思考能力の地力を強くするような、そんな情報が載っているべきと考えます。

具体的にはどういうものか。

まず始めに強く主張しておきたいのは、安っぽいコンサル的な(つまりあらゆるコンサル的な)小手先の方法論では絶対にありません。

それから知を軽々しく抽象して軽やかに記号を弄ぶような、青臭い秀才的方法論でもない。

そうではなく、妙な例えですが、何が体が裏返るような、理解した途端に人生観が変わるような、そんな本が必要だと思います。

最近手っ取り早いのは脳みそがどうしたこうした、という類いの本です。あれはお手軽です。最近は目も当てられないのばかりですけどね。

私の考える正攻法かついかにもな本というのは、大昔の別の国の思想家の本です。まず何を言ってるのか分からない。ぜんぜん理解できない。でも、それを何とか読んでいくと、いつか分かったという時が来る。遠い昔の遠い異国の人の気持ちが分かればシメタものです。現代のいろんな変てこな主張も理解できるようになる。変てこだと思っていたら、別の角度からみたら分からんでもない、ということも増えて来る。世界の見方がどんどん変わってくる。

こういう本との出会いがないと、古典の存在意義、いや、本の存在意義がないと思います。ベストセラーなんかどうでもいいんです。なんでこんな時代遅れの本を読むの?意味が分からないんだけど。10年経てば逆転します。何であんな下らないの読んでたんだろう。ウェブの情報またしかり。

果たしてそれは10年生き残る知識だろうか?そう問うてみるのも有益だと思います。

さて、本でも読むか。

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