2010年1月18日月曜日

カール・R・ポパー 内田・小河原訳「開かれた社会とその敵 第一部」未来社

★★☆☆☆☆:現代的意義には疑問

「利他主義と矛盾しない個人主義」と民主主義、すなわち近大欧米の基本思想を擁護した本。第一部ではプラトン批判を通じて西洋の古代全体主義を批判しています。第二部ではマルクシズム批判を展開するとのこと。

良い本だとは思いますが、むしろ気になったのが冷戦崩壊後の日本に生きる私とポパーさんとの問題意識の相違です。まず、端的に言ってなんでそんなにプラトン批判に熱が入るのかが分からない。私にとってはプラトンは昔の偉い人。教養の対象であって、現代に息づいてる思想家ではない。プラトンがカースト制の全体主義国家やスパルタ的国家運営を支持していたからといって真剣に批判しようというモチベーションは湧かない。なんか理由があったんでしょう。確かにスパルタは一時的には強国だったわけだし。それだけ。

では何でポパーさんが一生懸命になっていたのか。それはこの本が書かれた年代からすれば当然でして、すなわちナチズムと共産主義の台頭。特に社会主義がかなり怪しい魅力を放っていた時代です。だから全力で民主主義を擁護しているわけです。

それは分かる。でも頭で分かっても、身に染みて問題意識を共有することはできまへん。

やはり時代が違うということですね。マルクシズムのリアリティが相対的に激減する一方、アメリカの帝国主義もまたほころびを見せつつある。資本主義が社会主義に対して勝利を納めたものの、貧富の格差など別の問題を生み出している。今はむしろ資本主義とどうやって上手くやっていくか、そこが問題になっているのだと思います。

明らかに民主主義は全体主義よりもマシな思想です。しかしその対立よりも経済の方が主要な関心となっている。経済、すなわち人間のより直接的な欲望が世界を動かしている。どうも相変わらず国家間の関係というのはシビアだし、しかも昔より複雑になってきているんじゃないかなあ、という気がしてなりません。

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