2010年3月2日火曜日

「ゴルバチョフ回想録(上)」工藤精一郎・鈴木康雄訳 新潮社

★★★★★☆:必読かも

佐藤優さんの薦める本は、立花隆さんのそれと比べると、何で今の時代にこんなもの薦める?と思わされたり、わりとコケ脅し的な本もあって実に玉石混淆なのですが、これは当たりでしたね。相当面白い。

ゴルバチョフさんの名前は、私の中ではぼんやりと「冷戦終結」「ソビエト連邦崩壊」というキーワードと結びついていただけでしたが、この人の考えていたこと、やろうとしていたことが初めてわかりました。いや、大した人です。この人は。

結果的にはソビエト連邦の崩壊の端緒を開いたわけですが、その認識だけでは到底この人を正しく評価したとは言えません。

スターリンから始まる全体主義を否定し、自己保存が目的と化した強固な既得権益の固まりである官僚主義と戦い、官僚と結びつき、腐敗、硬直した農業と産業の改革を進め、中央集権構造を民主化しようと頑張った。しかも、それほどまでに困難な仕事をあくまで民主的にやり通そうとしました。信念の超人です。超人としか言いようがない。確かに結果は出せなかった。政治においては結果がすべてです。どれほど善い意図だったとしても、結果的に民が飢えたり、社会の混乱を引き起こしてはどうしようもない。しかし、この人の動きをみると、ゴルバチョフだったから踏みとどまることができた。彼ではなかったら、もっとひどいことになっていたのではないか、と思わされます。

それから、われわれは社会主義の崩壊を、全体主義に対する民主主義の、計画経済に対する自由経済の勝利、といった感じに図式的に解釈しているわけですが、それが浅薄な見方であることがよく分かります。まず全体主義イコール社会主義ではない。経済を統制するという考え方は、全体主義と非常に親和性の高いものだとは思います。しかし、社会主義と民主主義は相入れないものではありません。また、計画経済に対する自由経済優位の理由として、競争原理が挙げられるわけですが、別に競争原理が自由経済の専売特許なわけではない。実際、ソ連でもコルホーズに試験的に競争原理を持ち込んで成功した事例はあった。でもその展開を妨げるものがあったのです。それは官僚主義。

中央の官僚たちは、コルホーズが自分たちで計画し、自分たちで考えることを嫌ったのです。あくまで自分達の権力を失いたくはなかった。そこには権力欲と、もちろん利権の問題があります。つまり社会主義の敵は官僚主義と極端な中央集権構造、それから権力闘争だったようです。

ゴルバチョフが直面した課題の数々をよく表している一節がありました。上巻382ページ。

チェルノブイリはわが国体制の多くの病根を照らし出した。このドラマには長い年月の間に積もりつもった悪弊がすべて顔をそろえた。異常な事件や否定的なプロセスの隠蔽(黙殺)、無責任と暢気、投げやりな仕事、そろいもそろっての深酒。これは急進的な改革が必要であるもうひとつの確実な論拠だった。

ソビエト連邦の崩壊を他山の石とするなら、そこから学べるのは、既得権益への人間の執着が、そして変化に乗じて一儲けしようとする欲望が、いかに全体の利益を損なうか、ということかもしれません。

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