2010年6月30日水曜日

子供は授けられたんだな。そうとしか表現できない

子供ができるような行為を意図的にしているとやっぱり子供ができるわけです。たとえそんな行為をした覚えがなくても子供ができることがあって、そんな時は、あ、あの日か?なんて思い当たるわけです。

そうすると、子供とは「作った」。あるいは「出来た」としかいいようがないよな、なんて思うわけです。

私もこの8年間そう思ってきた。

そう思って、自分が子供の時はこうしたかった、ということを自分の子供に押し付けて来たんですな。

だって、この子はおれが作った。おれの一部だ。だから、オレのような後悔はさせないぞ。そんな風に思うんですよ。

  今思えばトンチンカンな誤りなんですけど。

  それに気がつかないんです。「作った」とか「できた」とか思ってると。

というわけで「もっと勉強しておけばよかったな」という後悔が、「お前勉強しろ!コラ!!!」という問答無用の強制になり、「ピアノ習いたかったなあ」という後悔が「ピアノ練習しろ!」という強制になるんです。

オレの子供には悔いのない人生を送ってほしい。だからガンバレ!なんてプレッシャーかけてしまう。

だからね。お父さんの身勝手で、お前を叱ってたんだよ。ゴメンな。本当にすまん。子供にそう懺悔すると、小学生ながらも何がしか理解するらしくて「お父さんズルい。ヒドいよ」なんて責められましたよ。子供も、理不尽に怒られたらしい、なんだか損した、と思うんですな。私はパパとは違うのにって。当たり前だよね。私はパパと違うんだ。子供はそう思う。大人はおれはお前だ。お前はおれだ。と子供を自分と同一視する。どっちがおかしい?大人がおかしいんだよ。

  怒りや、後悔はね。黙って抱えて死んで行くのが一番いいんだけどね。凡夫にはなかなかできない。

考えてみました。

子供はね、授かったんだよね。あんた(親)とは違うんだよ。別の世界、新しい人生を生きるんだよ。子供の、まっさらな新しい人生を、幸せにするのが親の第一の仕事なんだよ。ピアノ習って子供が幸せか?勉強したら、幸せになれるか?

そもそも、あんたは幸せなの?

  幸せ?でも、あなたは勉強しなかったんでしょ?ピアノ習わなかったんでしょ?

    だったら、勉強なんか、ピアノなんか幸せの必要条件じゃないでしょうが。

  不幸せ?それは、本当に勉強のせい?ピアノのせい?今、ここに幸せがなくて、どこにあるの?それに気がつかなければ、不幸せなままだよ。

    親がいて子供がいる。親は子を思い、子は親を思っている。それのどこが不幸せなの?バチがあたるよ!今、ここを幸せに生きられないあなた。それが問題なんじゃないの?

  それがね、分からないんですよ。特に一人目。

やたらに焦って、怒って、押し付けて、場合によっては手を上げて。子供のためだ、なんて思ってるんだけど、みんな自分のため。

  そう。取り返しのつかない自分の過去への怒りを、子供に向けているだけなんだ。

そりゃあ理不尽ですよね。子供にとってみれば、さあ、生まれてきた。これは何かと大変な人生だと思っていたら、自分を生んでくれた親がいきなりテンパッてるわけですから。

そりゃあマズイですよね。

もう勘違いも甚だしい。子供は自分とは違うんだ。違う人生を生きる、かけがえのない存在なんだ。

そんな当たり前のことに、8年間も気づかなったんですな。

でも、がっかりすることはない。8年ったらあかちゃんが小学3年生になるくらいの年だからね。

長いと言えばながい。でも、こと人間の愚かさを基準に考えれば、短いのかもよ。

そんなことを考えるわけですね。

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