2010年11月26日金曜日

暴力装置とか何とか

政治家が組織を名指しして「暴力装置だ」と言ったとしたら「いや、お前(とお前の組織)もな」と私は思う。ほとんど当たり前のことです。それが「大きな」失言として扱われることの方を怪しく思う。

自衛隊とは暴力装置である。その通りじゃないですか。いささか発言者ご自身の立場と空気が読めてないことは否定できませんが。自衛隊の大砲からハトでも出るんですか。銃は何のためにあるの。眉をひそめたって現実は現実。銃があるのは、ウサギを狩るためだけじゃない。見えているものから目を背け、見たいものばかり見ていると、いつかだまされてしまいます。

警察だって暴力装置です。暴力を振るってもよいとされている公的組織。冤罪の被害者だったら100%首肯すると思われる。

暴力をフィジカルなものに限らないとすれば、税務署だって暴力装置ではなかろうか。裁判所だってそうでしょう。自分は被害者だ、国に何とかして欲しいと思っていても、そうではない、と裁判官が判断する。そこで受ける精神的打撃は、暴力によるものと等しい。

もう一つ言えば、政治組織にだって暴力装置という側面があるでしょう。政治は時に弱者を犠牲にして強者の味方をせざるを得ない。弱者が受けるのはやはり暴力。無力な個人に襲いかかる、暴力です。

しかしながら、暴力=悪という図式も成り立たないと私には思われる。残念ですけど。世の中そんなに簡単ではない。心の強くない人間(要するにほとんどの人間)は暴力に頼りたい。暴力に頼る人が多いから、暴力をちらつかせる商売が成り立つ。暴力が組織化され、権力を持つ。いや、暴力団に限った話ではありません。無名の個人が「会社」を盾に行う暴力的な活動の例を上げればキリがない。

程度の差こそあれ、組織というものは暴力装置とならざるを得ないと私などは思う。

というわけで何だかキレイごとを言ってるなあ、と思えてしょうがないんですが、この程度の失言でやられるってことは、もう言われる方にもスキだらけなんじゃないかね、とも思える。

さて、唐突に話が変わって、存在感を増すみんなの党。怪しいんだよなあ。誰か大物(大組織)がプロデュースしている気がしてならない。小泉の時もそうだった。こういう政治的混乱の最中に頭角を表してくる人(組織)には、要注意だと、小泉がトントンと総理大臣になったときのことを思い出しながら、私などは考えてしまうのです。

論点がシンプルになり、敵が明確になる。そうすると、波に乗った人には実に好都合。ヤバイ主張がマスコミの煽る「怒り」に隠れるからね。もう騙されないぞ。と思いながら慎重に見守るしかありません。

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