2011年4月9日土曜日

中井久夫「災害がほんとうに襲った時」電子データの公開および無償頒布

中井久夫「災害がほんとうに襲った時」電子データの公開および無償頒布につきまして(最相葉月)
from NEWSポストセブン:美しい日本人 阪神大震災では店を開いた人は争って値下げ
後でじっくり読もう。

(18:19追記)

おお。凄い。ざっと眺めたい方。”●パート”という文字列だけ検索して読んでもかなり有益かと。

●パート3
有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。

マスコミ、外部のヒョーロンカは現場の足を引っ張る可能性が高い、と。マスコミさん!ご留意のほど(含む観戦者)!

コミュニティが崩壊しなかった証拠はいくつもある。街の物価は突然安くなった。隣の店が崩壊している時に商売していて暴利をむさぼるなんてとんでもないと言った人もいる。コーヒーは100円ないし200円となり、ライスカレーは500円となった。焚き出しで食べることが、その気になればできるということもあるかもしれないが、どこの焚き出し所でも、被災者かどうかを疑うことはしなかった。こういう状況では頭から人を信じてしまうか、頭から疑ってかかるか、どちらかしかない。神戸市民は前者を選んだのであろう。
別の箇所。
もとより神戸の人間は絵に描いたような優等生ではない。「中国にはハエが一匹もいなかった」と文化大革命のころに宣伝されたような意味では、たぶん絶無とは言えないだろう。毛を吹いて疵を求めるならばいくらかの事例はあるだろう。いや神戸の犯罪率は仙台の10倍といわれてきた(もっともこの種の統計は過信できない)。放火も暴行も多いほうではなかったろうか。しかし、ふだんより格段に少なくなったという印象はぜひ記しておきたい。

うーん。神戸を長く見つめてきた方の、震災の描写は非常に重い。

東京で震災があったとき、東京人としてどう振る舞うかを考えました。

他の地域の人に、世界に誇れる態度でありたい、と思います。

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