2009年1月17日土曜日

小泉改革とは(私にとって)何だったのか

重めです。

何でまた社会の片隅で地味に生活する私こんなことをブログに書こうとするか。それはあの時代に納得していないからです。っていうか消化不良?

「時代に納得する」という感覚をもっと具体的に、かつ分かりやすく言えば、要は「何かだまされてたような気がする」のです。

ポストバブル。就職氷河期。不景気。そしてITバブル。マイクロソフト。ネットスケープ。Yahoo!。そんな時代でした。大企業に就職するよりも、起業して市場を創出する人の方が優れている。本当に優秀な人間は大企業に就職しない。起業して大金持ちになる。

で、今どうなったか。アメリカの強欲資本主義。弱者を食い物にした金儲け。正社員のハードワーク。都合よく利用される非正規雇用社員。若者が未来に希望を持てない社会の誕生です。閉塞感が具体的な壁になったと言えます。何となく息苦しい社会から、普通に生活するのが困難な社会になってしまったのです。

今もそうですが、中産階級の団塊Jrも未来に希望を持てなかったように思います。高校、大学。次は会社勤めのサラリーマン。大企業に入れば後は何とかなるだろう。レールに乗ったような人生。父と同じようにあくせく働いて、子供作って、定年して・・・。決まりきった人生。でもそれでいいのか。自由に生きたくはないのか。(BGM by 尾崎豊)

その時代にも閉塞感はありました。そして小泉政権の誕生です。「自民党をぶっ壊す」。今考えてみればわけの分からんキャッチコピーですが、とにかく期待を持たせた。何か変わるかもしれない、と。少しは面白い時代になるかもしれない。

しかし、その小泉政権の成果は何だったでしょうか。

たとえば構造改革。規制緩和。郵政民営化。細かくはフォローしません。でも、結果は明白。金持ちや大企業は金を儲けた。そして若者は厳しい生活、あるいは不安定な生活を強いられている。

要するに小泉政権は、格差社会を強力に後押ししただけでした。

郵政民営化は郵便貯金という巨大なリソースを市場に流入させるのが目的だった。貯蓄から投資へ。あるいは「官から民へ」。人材の流動化。さまざまな雇用形態の創出(派遣請負)。そうすれば景気は回復する。株価至上主義。よい経営者とは?数字を善く見せかけて株価を吊り上げる経営者。

サラリーマンなんてイヤでしょう。オンリーワンで一旗上げたいでしょう。だったら非正規社員で日々の糧を稼ぎながら、夢を追ったらいかがですか?サラリーマンはカッコ悪い。起業して市場と雇用を創出して社会貢献。ついでに大金持ちにもなれる。誰にでもチャンスはあります。

でもその結果は?繰り返しになりますが格差の拡大と若者からの搾取でした。既得権益の解体というスローガンも、新規の既得権益者を生み出しただけ。都合よく利用される若者を生み出しただけ。竹中先生は、今振り返ればバカバカしいほど楽観的な因果関係を信じ込んでいたようです。しかもそのことを反省する気配はない。因果関係を狂信する人は、未来に対して傲慢になれるもんですな。

でも、私も気がつくのが遅すぎた。小泉改革を支持していたわけではありません。でも、はっきり言って自分が生きている時代の流れに何も気がつかなかった。そして今振り返ってみて、われわれが実に上手く利用されていたことに気がついた。だから「何かだまされていたような気がする」のです。われわれは、われわれの墓を一生懸命掘っていた人を懸命に応援していたのではないか?そんなイヤな後味が残り続けています。派遣・請負社員が小泉改革を支持するという痛々しい自傷行為。

1960年代後半の学生運動の主導者が、大企業の部長になってのうのうと暮らしたと聞きます。小泉改革もまた同じでしょう。

そのときたまたまアジテーションできる立場にあった人間が都合よく大衆を振り回し、最後には一部の人間だけが上手い汁を吸う。その構造はもうずっと変わらないと思います。

何を信じればいいのか。難しい問題です。とにかく一生懸命考えること。だまされないように努力すること。それしかないのかもしれません。
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