2010年5月8日土曜日

リコー GR DIGITAL III 買っちまいました

ほぼ衝動買いです。評判の良さに惹かれてしまった。

きっかけ。この間お弁当持ってピクニックに行ったんですが、その時D80を持って行こうと思いつつ、忘れてしまった。ということがありました。

Nikon D80。衝動買い傾向があり、かつ気前のいい父から貰ったマシンで、かなり良いモノです。普段は安い単焦点の35mm f2.0を装着(D80実効52mm)してマニュアルモードで使っています。撮るのは料理写真がほとんど。しかもblogアップが最終目的だから、画像サイズは超小さくて問題なし。宝の持ち腐れとはこのことよ。

まあ、それはともかく、気合いを入れて撮るぞ!というときはもうD80しかないんですが、当然そんな状況は限られてくる。しかも重い。この重さは「さあ撮るぞ!」という気持ちにはばっちり応えてくれる質量、すなわち頼もしさそのものなのですが「なんとなく子供の写真みたいなのもたまには撮ってみっか」という気持ちには少々荷が重い。

ということで、ピクニックに持って行けなかったのです。D80。ゆるーい感じで持って行こうとしたら、持って行けなかった。そこでなんとなくわだかまりが解けた。デジイチに縛られる必要はないやろ、と。もうコンパクトデジカメでええやないか、と。

ああ。思い起こされるのはかつて衝動買いしたPENTAX Optio M60。なぜ、さらにコン(パクト)デジ(カメ)なのか。再び過ちを犯すのか。何度でも間違えるさ。だって人間だもの。

とにかく、妻にはバッチリ皮肉を言われました。またデジカメ買うの?なんで?なんで?と。そう。私はOptioを愛すことができなかったのです。確かに気楽に使えるカメラです。しかし、楽しく持ち運ぶようなこともなく、世界が広がることもなかった。残念なことです。思えばお互いにとって不幸な出会いでした。1000万画素という数字に血迷った。ああ。すべてはわたくしの責任。

ま、いいや。

やはり愛です。物もそれを作った人がいる以上、客観的な物質以上の存在なのです。気持ちを込めて作られたものとは、心が通うことがある。残念ながらOptioとは心を通わせることができなかった。道具は積極的に語ることがありません。こちらから意義を見出す他はない。私はOptioに優れた意義を見出さなかった。見出そうとしなかった。触ってみた。少しは楽しんだ。まあ、こんなもんだろ。それで終わり。Optioのアウトプットも、わたくしを激しく揺さぶるものではなかった。Optioとワタクシの交流は、非常に薄かった。

ま、いいや。

GRDIII。これよさげです。全然悪くない。筋が通ったコンデジです。こう使ってくれ。そうすれば、オレ(GRDIII)はちゃんと仕事をする。思想が感じられる。これはいい。

不思議なもので、GRDIIIを触ってみてD80の良さを改めて確認しました。やはり性能的には格が違う。反応速度、フォーカス速度、画質、すべてにおいて、一級のコンデジを上回っている。

機械の裏に作りだした人がいる以上、機械との交流もあなおろそかにしては豊かな人生を送ることはできないのではないか。カメラをいじりながら、そんなことを考えたりしました。

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