2011年4月10日日曜日

フクシマ50、続く苦闘 蓄積する被曝量、不安とも戦う

フクシマ50、続く苦闘 蓄積する被曝量、不安とも戦う
鈴木弁護士が担当したのは1977〜82年に第一原発で配管工などとして勤務した男性。退職後に多発性骨髄腫と診断され、2007年に死亡した。被曝によるものと労災認定されたが、損害賠償を求めた訴訟では東電が責任を認めず、請求は棄却された

 「被曝と、事後に発症した病気との因果関係を科学的に立証するのは極めて困難。いま、現場で作業する人たちは自ら予防する余裕すらないだろう。国や東電は十分な予防措置と、万が一の時の補償をしっかり検討していく必要がある」と話す。
(略)
ある下請けの工事会社では、高齢の専務や社長たちが作業に名乗り出た。「俺たちだって簡単なケーブルの敷設作業ぐらいはできる」。若い作業員の将来を思い、盾になると決意した。比較的安定している第二原発では、地元の高校を出て採用された若い女性も泊まり込みで勤務しているという。

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