2010年7月6日火曜日

差別について

「差別と日本人」角川one テーマ21を読んで、私は「差別をするのはそいつが弱いからだ。自分より下の人間がいてはじめてアイデンティティを確立できる、そんな弱い人間が差別をするんだ」とナイーブに思ったのです。

しかし、その直後、まったく違う文脈で、まったく違うテーマを扱った、まったく非政治的な本を読んでいて衝撃を受けました。すなわち「スケープゴートがいるから共同体がうまくいく」。ああ、そうだった。おれが浅はかだった。

確かに差別をするのは弱い人間だ。それは確かかもしれません。しかし、在日、部落差別を推し進める人がいたとして、そのモチベーションに「あいつらが差別されなければ、オレがやられる」、そういう恐怖があったとしたら、私は彼を責められるだろうか。

恐ろしいのは、世間なんだ。個として強いとか、弱いとか、そんなことは小さなことなんだ。愕然として私は思ったのであります。

生まれだけで人が差別される。本当にバカバカしいことだと思う。文章だけ読むと、小学生レベルだ。くだらない。

でも、そんな低レベルの差別をあくまで推し進める世間の怖さ。被差別部落、在日の人はことあるごとに壁にぶつかるのでしょう。「この仕事がもらえなかったら、幼い子供たちを抱えて路頭に迷う他はない」。そんなギリギリの状態で面接を受けたものの、その生まれによって不合格になった。婚約を破棄された。バカにされた。いじめられた。そんな人の苦しみが分からないからこそ「差別をするのは弱い人間だ」とうそぶくことができたのではないか。そんな私が他人の想像力の欠如を非難していたとは!!

前にも書きましたが、就職活動していたころ、某外資系企業の面接で親の職業を聞かれたことがありました。その時私は思った。オレの父親が有力者だったら、合格になっていたのかもしれない。ということは、オレがどういう人間であるか、そんなことは問題じゃないんだ、と。外資系とはいえ、運営しているのは普通の凡庸な日本人なのだ、と。その時の私は、まぎれもなく「差別のまなざし」の犠牲者でありました。人がどうあったか、どうあるのかではなく、どういう関係にあるのか、それだけを見て決めつけるという世間の冷たい目・・・。残念ながら誰しもが持っている冷たい「まなざし」。

・・・

少しは救いになるかもしれないのが・・・

最近、家族関係が希薄になってますね。特に東京。

大体結婚を申し込むにしても、相手の親と会えば話が終わる。

中小の企業であれば、余り細かいことは聞かれない。

団塊Jrが受けてきた「人間は平等だ」という薄っぺらい教育が、それでも芽を出し始めたのか。

「世間」共同体が崩れたことにも、少しはメリットがあったのか。

なんだかよく分かりませんが、この辺で。また腰を入れて考えたいと思います。


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